脳みそがおかしい家族にやられた人を、悪く言う方法は、いくつかあるのだけど、そのうちのひとつが、悪霊というようなコンセプトを使った悪く言う方法だ。ほんとうは、悪い家族が、悪い頭で、悪いことを実行しているのに、悪いことをされた家族(のほうが)悪霊に取りつかれているから、悪いことが起こるのだと、「悪口」を言うのだ。しかも、これも、そういうことを言っている本人は、特に「悪口」を言った気持がないのだ。こんなの、ひどいだろ。どうして、ひどいと感じないんだ。こいつらは、妄想で、人の悪口を言っている。なんで、これがわからないのか? たとえば、きちがい兄貴が、きちがい兄貴の脳みそには、癖があるんだよ。癖があるから、自動的に、悪いことをしてしまう。これも、本人は、悪いことをしているという気持がまったくない。本人の頭の構造に「ズレ」があるのだ。そして、本人は、その「ズレ」を認識できない。そして、悪いことをするのだけど……ほかの家族に迷惑をかけるような悪いことをするのだけど、ずっとずっと、脳みそのズレによって「迷惑行為をしている」という認識がしょうじない。迷惑行為をされたほうが、どれだけ、説明しても、絶対の意地で、認めず、迷惑行為を続ける。迷惑行為を続けることに命がかかっているという態度だ。迷惑行為なのだけど、本人が、迷惑行為をしているとは思わないのだ。だから、本人のなかでは、悪いことをしているというつもりがまったくないまま、迷惑行為を何千日も、何万日もやり続けるということになる。頭の癖だから、しかたがない? そりゃ、他人で一緒に住んでいないのであれば、それで済むだろうけど、一緒に住んでいる家族は、それじゃすまないのである。けど、これも、一緒すんでいないのであれば、ほんとうのことは、「見えない」ので、勝手に「影響がないこと」「ちょっと我慢すれば済むこと」にされてしまうのである。実際に、その家族……その個人といっしょに住んでいないから、迷惑をかけられないやつらは、しょせんは、他人ごとなので「そんなに生活に影響型ないことだ」と思ったり、「やられてるほうが、ちょっと我慢すれば済むことだ」と思ってしまうのである。これは、きちがい兄貴のヘビメタ騒音のような影響があるものだと、事実に反する思い込みなのである。事実はちがう。影響はある。ものすごい、影響がある。「もう、死ぬしかない」「もう、殺すしかない」と毎日、何時間も何時間も連続して、何回も何回も思うほど、影響があるのである。けど、やられていない他人は、そんな影響を無視してしまう。そして、だれだって、いやなことはあるし、だれだって、苦労はしているので、「自分だっていやなことはある」「自分だって苦労している」と思ってしまう。ヘビメタ騒音の話を聴いたときにそう思ってしまう。けど、「自分だっていやなことはある」「自分だって苦労している」と思っている人は、頭に癖がある人とは、一緒すんでいないのである。これは、頭に癖がある家族と一緒に暮らしている人の「苦労」と頭に癖がない家族と暮らしている人の「苦労」は質も量もちがうのである。けど、頭に癖がある家族と一緒に暮らしていない人の人数のほうが圧倒的に多いのである。割合が、とてつもなく大きいのである。だから、この人たちは、もはや、必然的に「苦労の質」をまちがって判断するようにできているのだ。だって、くらべるべきものをもってないのだからそうなる。きちがい家族の「苛烈な騒音」「よその家ではありえない騒音」を、過小評価するのである。もう、過小評価するようになっているのである。かならず、「苦労」とか「騒音」とか「いやなこと」という、抽象度が高い言葉を使い、「同質、同量」の苦労をしているとか、「同質、同量」騒音を経験しているとか、「同質、同量」の「いやなこと」を経験しているという前提でものを言うようになるのである。これ、決まっているのである。けど、この人たちには、きちがい家族がいないのである。きちがい的にでかい音で、きちがい的に長い時間、思いっきり騒音を鳴らしたいと思うような家族がいないのである。だから、そういう家族がもたらす「苦労」「騒音」「いやなこと」を経験していないのである。
話をもとにもどすと、きちがい兄貴の脳みそのズレから生じることを、悪霊のしわざだと思ってしまうやつらがいる。ぜんぜんちがうのに、こいつらは、こういう、妄想的なパラダイムで、現実を認識するのだ。迷惑なんだよ。そういうことを言う人が、そういうことを言うから、不幸の数が増えるんだよ。そういうことを言う人が、むしろ、悪霊だ。ただでも、脳みそにズレがある、きちがい家族にやられてこまっているのに、脳みそのズレは、無視して、悪霊のせいにするな。脳みその構造が、その人(きちがい兄貴のような人)にとって、都合がよくズレているんだよ。なんでこれがわからないのか? 脳みその構造によって、こっちが言ったことを無視するんだよ。脳みその構造によって、ほんとうはものすごくでかい音で鳴らしているのに、小さな音で鳴らしていると、解釈してしまうんだよ。自分に都合がよくなるように、ズレているんだよ。もっと言ってしまうと、自分に都合がよくなるように、くるっているんだよ。なんでこれがわからないのか?
思いっきりでかい音で、毎日毎日、好きな時間に、自分が聞きたい音を鳴らすという欲望があるとする。これに対して、普通の人は「けど、それは迷惑なことだからやめよう」と思うのだ。ようするに、超自我が命令して、やめさせる。ところが、きちがいだから、この超自我的な命令を、最初から発生させないようにすることができるのだ。自分の鳴らしている音は、でかい音ではなくて、ちいさい音なんだと(思えば)欲望と、超自我の、対立が最初からおこらないのである。
だから、「善」とか「道徳」とか「倫理観」というものを、突き抜けて、問題解決をしてしまうのだ。こうすれば、最初から、超自我的な命令がしょうじない。なんでなら、でかい音で鳴らしているのではなくて、ちいさい音で鳴らしているからだ。これが、道徳に反したことをやりたいと思ったときの、兄貴の側の解決方法なのである。これが、脳みそのズレを引き起こしているのである。だから、きちがい兄貴が、きちがい的な騒音を鳴らすことにこだわって、鳴らしているというのは、なにも、悪霊が関係していることではないのだ。これがどうしてわからないのか?
まあ、こういう人は、お兄さんが、そういうきちがい的な脳みそを搭載しているのが、悪霊のしわざなんだと言ってしまうだろう。そういうきちがい的な脳みそになったのは、悪霊のせいなんだと言っているわけだ。けど、これは、兄貴についた悪霊のせいなのか、俺について悪霊のせいなのか? 兄貴についた悪霊のせいだ。俺についた悪霊のせいじゃない。「悪霊のせいだ」と思ってしまう人は、言霊主義者のように、妄想的なことを信じているのである。もう、言いようがないな。そういうことで、どれだけ、きちがい家族にやられた人間を傷つけているのか、わかってない。兄貴の脳みその問題なんだよ。「の」の重複は指摘しなくてもいい。兄貴の脳みそが、兄貴の行動を決定している。
きちがい兄貴が、「悪いことをやっている」と感じないから、ずっと、やり続けてしまうのだ。どれだけ言ったって、聞かない。けど、昨日も書いたけど、「どれだけ言ってもきかない」ということを言うと、「エイリさんの説明が悪いから、相手であるお兄さんが理解できないのだ」と決めつけてくるやつがいる。こういうやつらは、みんな、精神世界の人たちなのである。まあ、精神世界の人じゃなくても、「そんなのは、ちゃんと言えばいいだろ」というやつらがいる。こいつらはみんな、「自分ならちゃんと説明できる」「ちゃんと説明すれば、お兄さんはやめてくれる」と思っているのだ。こういうバカ。こういうバカなやつらはガリだ。こんなやつに、バカにされてしまうのだ。きちがい兄貴が、きちがい的な脳みその構造をもっていると、こういうバカにバカにされることになる。ほんとうに、腹がたつ。こういうやつらはこういうやつらで、俺が腹をたてると、なんで俺が腹をたてたのか、理解できないんだよ。そりゃ、そうだろ。自分は正しいことを言ったと思っているわけだからな。こんな幼稚なやつばかり。こんな幼稚なやつばかり。
ともかく、きちがい兄貴の脳みそが、きちがい兄貴にとって都合がいいようにできているだけなのである。悪霊とか霊とか、まったく関係がない。兄貴の脳みそのネットワークが、異常なのである。普通なら、絶対に、わかることが、わからないようになっている。普通の人だったら、耳が正常なら、でかい音はでかい音として聞こえる。耳が正常なのに、自分がでかい音で鳴らしたいから、小さな音に聞こえるなんてことはない。普通の人が、芝居をする場合は、でかい音で鳴らしているのわかるけど、自分がでかい音で鳴らしたいから、「小さな音で鳴らしている」と言い張って、自分がやりたいことをやりぬこうとするのである。この場合は、どれだけなにを言っても、自分がでかい音で鳴らしているということを……認識してしまっている。認識してしまっているので、芝居をしているときは、芝居をしているという意識がある。芝居をしているということも、認識してしまうのである。ところが、きちがい兄貴は、自分がやりたいことを押し通したいので、無意識的な部分で、でかい音を小さい音だと言い換えてしまうのである。そして、言い換えたということを、認識しないのである。だから、まったく、躊躇なく、きちがい行為をやって、俺の人生を破壊することができる。こんなの、でかい音だというのは、わかるはずなので、わからないというのは、ほんとうに、きちがいだからわからないということになる。
ほかの人は、こういうタイプの家族と一緒に暮らしたことがないので、こういうタイプのか家族が鳴らす、苛烈な騒音を経験したことがない。ほかの人は、こういうタイプの家族と一緒に暮らしたことがないので、こういうタイプのか家族が鳴らす、しつこい、しつこい、しつこい、苛烈な騒音を経験したことがない。だから、わかってない。こういう苛烈な騒音がしつこく続くと、どういうからだの状態になるかということが、経験としてわかってない。だから、「自分なら平気だ」「自分ならそんなことに影響をうけない」「自分なら、お兄さんを説得できる」と思って、俺にむりなことを言うのである。こいつらはこいつらで「無理なことを言った」という認識がないのだ。「完全に、できることだ」と思っている。こいつらはこいつらで、俺がどれだけ説明しても、ところどころで反論し、腹をたて、俺が言っていることを認めない。最初に感じた「自分の見立て」にこだわって、ぼくが言うことを認めない。