たとえばなんだけど、親父に対して、「親父が魚を出しっぱなしにしたから、ネズミがはいってきた」と言えば、親父が「なんだよぉ!! 出してない!! 出してない」とわめくわけ。そのときは、「ネズミがはいってくるようにしてしまって、すまなかったな」なんて気持ちはないわけ。ものすごく、かたい化粧箱が、居間にあったわけ。その化粧箱の中に、親父が、食べるわけではない、お菓子を入れていた。これ、ずっと、置きっぱなしで、食べないお菓子として、オブジェと化していたのである。ネズミの侵入と、ネズミ対策工事に対する反対がなければ、それはそれで、じゃまだけど、どうでもいいものだった。ところが、ネズミが侵入して、親父が「(ネズミシートで捕まえるから)工事はしなくていい」と意地をはって、時間がたった。そうなると、箱の中に、ネズミの糞がたまるのである。きちがい親父が、入院したあと、この化粧箱を解体して、処理しなければならなくなった。ところが、この化粧箱が、かたくてかたくて、なかなか解体できなかったのである。ダニがいる部屋で、この、かたい化粧箱をなんとか、市のごみ袋にいれるというのがたいへんだった。これ、清掃員の人が、持って行ってくれないのである。だし方が悪いと、市の清掃員の人がもって行ってくれない。そして、死の清掃員の人がダニに刺されないように、うまいこと処理するとなると、もっとたいへんだった。でっ、この、かたい化粧箱を解体しているときに、猛烈にかゆいダニに刺された。からだも、ほかのダニに刺されているけど、からだを刺しているダニとは、ダニの種類がちがうのである。足のくるぶしを刺されたのだけど、水膨れができて、一年以上治らなかった。いまでも、うすくアトがついているんじゃないかなと思う。こわくて見れない。ともかく、あのダニ部屋で、かたい化粧箱の処理をしたときの記憶が、頭から離れない。空間が汚染されていく。こういう記憶が、生きる力を、奪っていくのである。意欲を奪っていくのである。それで、ようするに、親父に対して、「化粧箱にネズミの糞がはいっていて、化粧箱を解体しているときに、ものすごくかゆいダニに刺された」と言ってやったんだよ。そうしたら、親父が「なんだ!そんなのぉ!!」と顔を真っ赤にして、言うわけ。親父のせいで、ダニに刺されたという文脈の全体は、なんとなく、つたわっているのだろう。だから、腹をたてる。なにか、不都合なことを言われたということは、わかるのだ。けど、……けどけどけど……親父が、しつこくやったことで、相手がこまっているということが、まったくわからないのだ。これ、ほんとうに、親父が、時系列的な節々で、ダニが発生するようなことをしているのである。親父が、やったことの結果なのである。親父が、責任を持って片づけるべきなのに、そういう責任は全く感じないで、自分が「せめられた」ということに対して、文句を言っているのである。発狂しているのである。顔を真っ赤にして、「そんなことを言ってくる」という気持になっているのである。まったく、相手がこまっているということが、わからないのである。相手が、自分のやったことで、被害を受けたということが、まったく、まったく、まったく、まったく、わかってないのである。ともかく、なんとなくだけど、自分が文句を言われたということだけはわかるのだ。だから、顔を真っ赤にしておこる。「なんで、自分にそういうことを言ってくるんだ」という気持になって、憤慨する。「迷惑をかけた」ということがわかってない状態なのである。これは、どれだけ、言ってもむだなんだよ。これも、精神世界のしったふうな人だと、俺の言い方が悪いから、そういう反応をしたと考えるのだ。親父がそういう反応をしたと考えるのだ。ようするに、親父の機嫌がいいときに静かに言えば、親父だってわかってくれたはずだという意見をもっているのである。精神世界のしったふうな人はそういう意見をもっているのである。ようするに、最初から、人をせめるような口調で言ったから、親父がそういうふうに反応しただけだというようなことを言う。自分だったら、ちゃんと、親父さんがわかるように説明ができると、勝手に、思っているのである。けど、これに関していうと、精子世界のしったふうな人がまちがっている。親父にどんな言い方で、言ったところで、親父の反応はおなじなんだよ。自分の行為をせめるようなことを言われたら、どんな行為をしたかに関係なく、発狂しておしまいなんだよ。そのときは発狂したけど、相手がこまっているということがあとでわかって、謝罪したなんてことはないんだよ。言っておくけど、兄貴のヘビメタ騒音に対する態度も、おやじとおなじなんだよ。普通の人が、一気に誤解をしてしまう。普通の人は、だから、こういうタイプのきちがい家族とは、一緒に暮らしてない。暮らしたことがない。だから、わかってないのだ。ようするに、こういうタイプのきちがい家族に、やられたことがないのだ。「わかってない発言をする」ということは、「こういうタイプのきちがい家族にやられたことがない」ということを意味しているのである。
きちがい親父や、きちがい兄貴の態度というのは、全部が全部、こういう態度だ。こういうことに関しては、一〇〇%確率で、こういう態度なのである。ずっとずっと、ぼくがこのうちに生まれてから、きちがい親父やきちがい兄貴は、ずっとずっと、こういうことに関して、こういう態度なのである。絶対に、自分の落ち度を認めない。自分がやったことの影響で相手がこまっているということを、認めない。ずっとずっと、そうなんだよ。