きちがい兄貴が、「騒音」に寛容かというと、寛容じゃないのだ。自分が出してない音で、他人が出している音だと、普通の音でも、うるさいと感じるやつなのだ。
たとえば、テレビの音がうるさいと感じるやつなのだ。あるいは、ぼくが、テーブルの上でビー玉を転がしていたのだけど、そのビー玉の音がうるさいと言ってくるやつなのだ。
他人が鳴らしている音なら、「うるさい」と普通に感じる人間なのである。
兄貴は、別に、騒音というものに特別に寛容であるわけではない。これが、わかってないんだよね。
これ、本人の耳が悪くなるほどでかい音で鳴らしているのに、「こんなの普通の音だ」と感じてしまう。「普通の音で鳴らしているのだから、一日に十三時間鳴らしたって問題はない」と思ってしまうやつなのだ。
普通の音というよりも、しずかな音だと感じている部分がある。きちがいだから、現実を書き換えてしまう。そして、自分が現実を書き換えたことに気がつかない。
きちがい的にでかい音で鳴らしたいなら、それが普通の音や小さな音になってしまうのだ。
普通の音で鳴らしていたとしても、一日に一三(じゅうさん)時間鳴らすというのは、鳴らしすぎなのである。平日、学校がある日に帰ってきて、平均七時間鳴らしてしまうというのは、鳴らしすぎなのである。
一日に、二時間ぐらいまでだったら、ぼくの、睡眠回路はこわれていない。一日のなかで、宿題だってできる。
きちがい兄貴が、たとえば、午後五時から午後七時までの二時間だけ鳴らすということに、合意したかというと、合意しなかった。一秒間だって、ゆずってやりたくないのである。一分間だって、ゆずってやりくないのである。
自分が、弟のために、ヘビメタを鳴らすのをがまんして……つまり、まったく鳴らさないようにして、一秒間、がまんしてやる姿が、まったく想像できないレベルだ。そんなのは、ありえないから、考えもしないことなのだ。
一秒間、ほんとうに、がまんをさせられたら、発狂してしまうのである。
そういう意地なんだよ。
一分間でも、ヘッドホンをしてやらなければならなくなったということになれば、その一分間、腹がたって腹がたって腹がたって、「こんなこと、やってられる」「がまんできるか」という気持になって、一分間もたたないうちに、ヘッドホンのジャッキをはずしてしまうのである。ヘッドホンを頭からとってしまうのである。
こういう意地は、きちがい親父もおなじなんだよ。ここで、きちがい親父のことを書くと話が長くなるのでやめるけど、脳みその構造がまったくおなじで、「がまんさせられそうになった」ときの反応がまったくおなじなんだよ。
がまんさせられそうになったら、顔を真っ赤にして、発狂して、自分がやりたいことを、やってしまうのである。がまんなんて、一分間だってできないのである。
一分間がまんしてやったら、ものすごく、自分が損をした気持になってしまのうのである。死ぬほど腹がたつのである。きちがい的な意地がかかっているのである。たとえ、一秒だろうが、一分だろうが、自分が絶対にゆずってやらないということに、命がかかっているのだ。
きちがい兄貴のヘビメタに対する態度は、きちがい親父のカネに対する態度とおなじだ。
きちがい兄貴は、きちがい親父のカネの支配をうけていた。これ、ほんとうに、カネの支配があった。だから、きちがい兄貴は、自分でバイトをして勝ったヘビメタ道具一式だから、ほかのやつに文句を言われる筋合いがないという感情もあった。
この(兄貴の)感情の出所が、きちがい親父のカネに対する態度なのである。
カネで、いじめられる。カネのことで、意地悪なことをされる。カネのことで、ものすごく腹がたつことをされる。
もちろん、きちがい親父のほうは、そんなことをしているつもりがないんだよ。きちがい親父は、いじめているつもりなんてないんだよ。けど、親父のカネに対する態度に問題があるから、親父にかかわると、カネのことでいじめられることになるのである。
かならず!!!!かならず!!!不愉快な目にあわされる。
だから、きちがい兄貴にとっては、きちがい兄貴が高校生になってバイトをして金を稼げるようになったということは、きちがい親父のカネの支配から、自由になったということなのである。
きちがい兄貴がバイトをして、自分のカネで、ヘビメタ道具を買ったということが、めちゃくちゃに重要なんだよ。きちがい兄貴のなかで、めちゃくちゃに重要ことなんだよ。
これ、こんなことを言ってもわかってくれる人はいないと思うけど、こういうことも、関係している。自分のカネで買ったヘビメタ道具でヘビメタを鳴らしているのだから、どれだけでかい音で、どれだけ長い時間鳴らしても、まったく問題がない……という感じ方がある。
けど、こういうことを抜いたとしても、きちがい兄貴の頭の構造は、きちがい親父の頭の構造とおなじだから、やはり、自分ががまんさせられたとなったら、発狂してしまうのである。
まあ、ひらたく言うと、親父のお金支配をうけて、意地になっているところもあるのだけど、それだけではないのだ。基盤は、きちがい親父と同じタイプの脳みそを搭載しているということだ。
自分が!!がまんさせられる……となったら、一秒でもがまんしたら、死んでしまうというような危機的な気持になって、反抗をするのである。
「絶対にゆずってやらない」とがんばるのである。真っ赤な顔をして、体をこわばらせて、がんばるのである。このときは、そういう感情だけだから、相手が自分のやっていることでこまっているということは、まったく頭のなかにない。きちがい兄貴の頭のなかには、相手が(自分がやっていることで)こまっているということが、まったくない。
まったく頭のなかにないから、時間がたてば「やったってやってない」ということが、成り立ってしまう。やりきったら、「やってない」ということになってしまうのである。感情的には……。
きちがい兄貴だって、ほかの人が出す音には、わりと敏感で、この世に騒音と言える音があると言うことがわかっているのである。本人だって、わりと敏感に、自分が聞きたくない音に反応するのである。
ところが、「思いっきりでかい音で」ヘビメタを鳴らしたという気持があると、……その気持ちにあわせて、すべてが、ゆがんでしまうのだ。その無意識的な欲求にあわせて、現実認知がすべてゆがんでしまうのだ。自動的にゆがむ。
* * *
それから、ちょっとだけ言っておくけど、きちがい兄貴のヘビメタ騒音にさらされていれば、憂鬱になるのだけど、ぼくの認知がゆがんでいるわけではないのだ。
きちがい兄貴のヘビメタで、宿題ができず、宿題ができないということから発生するトラブルに見舞われたとする。不愉快な出来事だ。そして、きちがい兄貴のヘビメタで、眠れなくなり、どうしても、遅刻をしてしまうということが発生したとしよう。
その場合も、学校でトラブルが発生するのだけど、これは、めいる出来事なのである。頭にくる出来事なのである。
そりゃ、学校のみんなは、教師も含めて、ヘビメタで「どうしても遅刻してしまう」ということは、認めないので、ヘビメタ騒音の影響に関して認識のちがいがあり、トラブルが発生してしまうのである。
そして、学校のみんなや教師は、「家族で話し合えば、問題が解決する」と思っているので、そこでも、きちがい兄貴やきちがい親父の脳みそに関する認識のちがいがあり、トラブルが発生してしまうのである。
もちろん、不愉快な出来事だ。
これ、鳴らされて、ずっと遅刻をしないようにするということが、どうしてもできない。もう、それは、はっきりしている。
だから、実際に「ものすごい音で」鳴らされているあいだ、くるしいというのは、ほんとうのことで、ぼくのほうに認知のゆがみがあるわけではないのである。むしろ、ほかの家では絶対に鳴らさないような音で、長時間、鳴らしてしまうほうに認知のゆがみがある。あれだけでかい音で、ずっと毎日鳴らされれば、憂鬱になるのである。そして、寝不足が続いてうつ病になったとしよう。その場合、うつ病患者の認知がゆがんでいるということになってしまのである。ようするに、ぼくがうつ病になったなら、うつ病になったぼくの認知はゆがんでいると、認知療法家が解釈してしまうのである。けど、ぼくの認知はゆがんでいないのである。これ、どれだけ重要なことか、ほかの人たちはわからないと思う。認知療法家だってわかってないよ。心理学者だってわかってないよ。認知療法家の認知のゆがみに関しては、ずっと前に書いたので、ここでは省略する。ちょっとだけ書いておくと、内因性のうつ病に関しては、認知療法の理論が当てはまる場合があるのだけど、外因性のうつ病に関しては、認知療法の理論がはてはまらない場合もあるのである。