2025年4月19日土曜日

言霊主義者のこの無自覚性は、言霊主義者を現実に適応させている

 じつは、言霊主義者が、言霊思考におちいる分野というのは、だいたい、決まっている。夢や願望に関することについて、言霊思考をしてしまう。

現実の問題に関しては、言霊主義者だって、現実的な解決法を模索し、現実的な解決法で、解決しようとする。

べつに、「言えば、言った通りになる」とか「言えば、言ったことが現実化する」とは思っていないのだ。ほんとうに、「言えば、言った通りになる」とか「言えば、言ったことが現実化する」とかと思っていれば、言って解決しようとするのだ。

たとえば、おカネがなかったらどうするか?

「おカネが出てくる」と言えばいい。あるいは「おカネが、目の前にあらわれる」と言えばいい。「三秒以内に、おカネが、目の前にあらわれる」と言えば、三秒以内に、おカネが目の前にあらわれるのだ。

けど、言霊主義者だって、ほんとうには「三秒以内に、おカネが、目の前にあらわれる」と言えば、「三秒以内に、おカネが、目の前にあらわれる」とは思ってないのだ。

「言ったって、おカネがあらわれない」と思っているのだ。言霊主義者だって「言ったところで、おカネがあらわれるはずがない」と思っているのだ。

だから、言霊的な解決方法を採用しない。

かわりに、働いておカネかをかせぐという方法で、お金をかせごう度する。かせげば、そのお金は自分のものになるから、自分で使うことができる。

これが、問題解決方法だ。

働くために、働ける会社を探して、面接に応募して、面接に行ったりする。

これだって、言霊的な買いつ方法が、ほんとうに有効なら、やらなくていいことだ。

『言霊じゃ解決しない』と思っているから、働ける会社を探して、面接に応募して、面接に行くのだ。

これは、矛盾している。ほんとうは、矛盾している。

言霊主義者が、ほんとうに「言ったことが現実化する」と思っているのであれば、言って解決すればいいのである。言えば、解決できる問題ばかりだ。ところが、言って解決しようとしないのである。

ただし、自分のことではなくて、ほかの人のことだと、現実味が一気にさがるのである。

自分の条件は、自分が(言わなくても)知っているけど、ほかの人の条件は、ほかの人が言った分しかわからない。しかも、ほんとうに、相手の身になって考えているわけではないから、ほかの人が言ったことを、無視してしまう。

ようするに、ほかの人の条件は、自分の条件ではないので、無視してしまうのだ。

いっぽう、その「ほかの人」にとってみれば、その人の条件というのは「自分の条件」なので、言わなくても、よくわかっている条件なのだ。

たとえば、AさんとBさんがいたとする。AさんもBさんも言霊主義者だとする。Aさんは、Bさんにとって他人だ。Bさんは、Aさんにとって他人だ。だから、AさんがAさんの現実的な問題に関しては、言霊的な思考をしないのに、Bさんの問題に関しては、Bさんの条件を無視して、言霊的な思考をしてしまうのだ。

そして、逆に、Bさんは、Bさんの現実的な問題に関しては、言霊的な思考をしないのに、Aさんの問題に関しては、Aさんの条件を無視して、言霊的な思考をしてしまうのだ。他人のことだと、現実味がないので、言霊的な思考をしてしまう。

だから、言霊主義者は、他人には、言霊的なアドバイスをしてしまう。けど、じゃあ、自分が普段、言霊的な思考をして、言霊的な解説方法を選択しているのかというと、そうではないのだ。

普段は、言霊なんてガン無視して、現実的な方法で、現実的な問題に対処しているのである。

だからこそ、言霊主義者が、現実社会で、妄想的な精神病患者として扱われることがないのだ。

もし、ほんとうに、言霊主義者が、自分の現実的な問題に関しても、言霊主義的な解決方法を選択し続けると、言霊主義者は、妄想的な精神病患者として、まわりのひとから認識されるようになるのだろう。

現実的な問題に対して、現実的に対処しているので、言霊思考の問題が表面化していないだけなのだ。もし、原理を押し通して、すべてを、言霊的な解決方法で解決しようとすると、途端に、言霊思考の妄想的な部分が露呈して、現実に対応できなくなってしまうのだ。

現実を無視して、現実について言霊主義的な解釈をすると、さまざまな現実的な問題を引き起こすことになる。言霊主義者は、どれだけ、言霊が、妄想的な理論かということが、わかっていないのだ。

これは、実際には、言霊主義者が、現実的な問題に関しては言霊的な解決方法を採用していないということについて、言霊主義者自身が、無自覚だから、発生することだ。

言霊主義者のこの「無自覚性」は、言霊主義者を現実に適応させているのだけど、言霊思考が抱える、妄想的な部分を見えなくもしている。

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他人事だと、自分のことではないので、自分における現実味が一気にさがってしまうのだ。現実味が一気にさがると、言霊で解決できそうな感じがしてくるのである。現実味がないことだから、言霊で解決できそうな気分になるのである。だから、他人には、言霊的なアドバイスをしてしまう。しかし、自分のことだと、言霊思考は一気に(頭のなかから)しりぞいて、現実的に対処しようとするのだ。

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すべての言霊主義者にとって、ぼくのヘビメタ騒音問題は、現実味がないことなのである。「俺だって、騒音ぐらいあった」「俺だって、朝がつらい」「俺だって、困難を経験した」「俺だって、苦労をした」と言うけど、言霊主義者にとっては、ぼくのヘビメタ騒音問題は、現実味がまったくない問題なのである。だから、「軽く」見る。自分にとって現実味がない問題だから、言霊で解決できそうな気分になるのである。ところが、きちがい兄貴のきちがいヘビメタ騒音問題は、きちがい兄貴の脳みそにしたがって、きちがい兄貴が(実際に)やったことなので、言霊では、解決しない問題なのである。

けど、「言霊では、解決しない」「言霊理論は正しくない」ということを言霊主義者に説明しても、言霊主義者は(たいてい場合)理解しないのである。ぼくと言霊主義者の間に、亀裂が入る。たいていの場合と書いたけど、ぼくの経験の範囲だと、一〇〇%の言霊主義者が、認めなかった。理解してくれなかった。

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言霊主義者は、夢や希望にかかわることだと、言霊思考をするということを書いたけど、このことは、逆に、言霊的な解決法の無力さを証明してしまっている。いつまでも、かなわないから、夢なのだ。「いつか かなう」と思っている。

それは、すなわち、「いまは、かなえることができない」ということなのである。

ようするに、「いまは、言霊的な解決方法では解決できない」ということを告白してしまっているのである。

「一秒以内に(これこれこういう)夢がかなう」と言ったところで、夢がかなわない。夢の内容が現実化しない。

言ったのに、夢の内容が現実化しない。

なら、言霊には力がない……言霊には「現実化さる」力がないということなのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。