じつは、言霊主義者が、言霊思考におちいる分野というのは、だいたい、決まっている。夢や願望に関することについて、言霊思考をしてしまう。
現実の問題に関しては、言霊主義者だって、現実的な解決法を模索し、現実的な解決法で、解決しようとする。
べつに、「言えば、言った通りになる」とか「言えば、言ったことが現実化する」とは思っていないのだ。ほんとうに、「言えば、言った通りになる」とか「言えば、言ったことが現実化する」とかと思っていれば、言って解決しようとするのだ。
たとえば、おカネがなかったらどうするか?
「おカネが出てくる」と言えばいい。あるいは「おカネが、目の前にあらわれる」と言えばいい。「三秒以内に、おカネが、目の前にあらわれる」と言えば、三秒以内に、おカネが目の前にあらわれるのだ。
けど、言霊主義者だって、ほんとうには「三秒以内に、おカネが、目の前にあらわれる」と言えば、「三秒以内に、おカネが、目の前にあらわれる」とは思ってないのだ。
「言ったって、おカネがあらわれない」と思っているのだ。言霊主義者だって「言ったところで、おカネがあらわれるはずがない」と思っているのだ。
だから、言霊的な解決方法を採用しない。
かわりに、働いておカネかをかせぐという方法で、お金をかせごう度する。かせげば、そのお金は自分のものになるから、自分で使うことができる。
これが、問題解決方法だ。
働くために、働ける会社を探して、面接に応募して、面接に行ったりする。
これだって、言霊的な買いつ方法が、ほんとうに有効なら、やらなくていいことだ。
『言霊じゃ解決しない』と思っているから、働ける会社を探して、面接に応募して、面接に行くのだ。
これは、矛盾している。ほんとうは、矛盾している。
言霊主義者が、ほんとうに「言ったことが現実化する」と思っているのであれば、言って解決すればいいのである。言えば、解決できる問題ばかりだ。ところが、言って解決しようとしないのである。
ただし、自分のことではなくて、ほかの人のことだと、現実味が一気にさがるのである。
自分の条件は、自分が(言わなくても)知っているけど、ほかの人の条件は、ほかの人が言った分しかわからない。しかも、ほんとうに、相手の身になって考えているわけではないから、ほかの人が言ったことを、無視してしまう。
ようするに、ほかの人の条件は、自分の条件ではないので、無視してしまうのだ。
いっぽう、その「ほかの人」にとってみれば、その人の条件というのは「自分の条件」なので、言わなくても、よくわかっている条件なのだ。
たとえば、AさんとBさんがいたとする。AさんもBさんも言霊主義者だとする。Aさんは、Bさんにとって他人だ。Bさんは、Aさんにとって他人だ。だから、AさんがAさんの現実的な問題に関しては、言霊的な思考をしないのに、Bさんの問題に関しては、Bさんの条件を無視して、言霊的な思考をしてしまうのだ。
そして、逆に、Bさんは、Bさんの現実的な問題に関しては、言霊的な思考をしないのに、Aさんの問題に関しては、Aさんの条件を無視して、言霊的な思考をしてしまうのだ。他人のことだと、現実味がないので、言霊的な思考をしてしまう。
だから、言霊主義者は、他人には、言霊的なアドバイスをしてしまう。けど、じゃあ、自分が普段、言霊的な思考をして、言霊的な解説方法を選択しているのかというと、そうではないのだ。
普段は、言霊なんてガン無視して、現実的な方法で、現実的な問題に対処しているのである。
だからこそ、言霊主義者が、現実社会で、妄想的な精神病患者として扱われることがないのだ。
もし、ほんとうに、言霊主義者が、自分の現実的な問題に関しても、言霊主義的な解決方法を選択し続けると、言霊主義者は、妄想的な精神病患者として、まわりのひとから認識されるようになるのだろう。
現実的な問題に対して、現実的に対処しているので、言霊思考の問題が表面化していないだけなのだ。もし、原理を押し通して、すべてを、言霊的な解決方法で解決しようとすると、途端に、言霊思考の妄想的な部分が露呈して、現実に対応できなくなってしまうのだ。
現実を無視して、現実について言霊主義的な解釈をすると、さまざまな現実的な問題を引き起こすことになる。言霊主義者は、どれだけ、言霊が、妄想的な理論かということが、わかっていないのだ。
これは、実際には、言霊主義者が、現実的な問題に関しては言霊的な解決方法を採用していないということについて、言霊主義者自身が、無自覚だから、発生することだ。
言霊主義者のこの「無自覚性」は、言霊主義者を現実に適応させているのだけど、言霊思考が抱える、妄想的な部分を見えなくもしている。
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他人事だと、自分のことではないので、自分における現実味が一気にさがってしまうのだ。現実味が一気にさがると、言霊で解決できそうな感じがしてくるのである。現実味がないことだから、言霊で解決できそうな気分になるのである。だから、他人には、言霊的なアドバイスをしてしまう。しかし、自分のことだと、言霊思考は一気に(頭のなかから)しりぞいて、現実的に対処しようとするのだ。
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すべての言霊主義者にとって、ぼくのヘビメタ騒音問題は、現実味がないことなのである。「俺だって、騒音ぐらいあった」「俺だって、朝がつらい」「俺だって、困難を経験した」「俺だって、苦労をした」と言うけど、言霊主義者にとっては、ぼくのヘビメタ騒音問題は、現実味がまったくない問題なのである。だから、「軽く」見る。自分にとって現実味がない問題だから、言霊で解決できそうな気分になるのである。ところが、きちがい兄貴のきちがいヘビメタ騒音問題は、きちがい兄貴の脳みそにしたがって、きちがい兄貴が(実際に)やったことなので、言霊では、解決しない問題なのである。
けど、「言霊では、解決しない」「言霊理論は正しくない」ということを言霊主義者に説明しても、言霊主義者は(たいてい場合)理解しないのである。ぼくと言霊主義者の間に、亀裂が入る。たいていの場合と書いたけど、ぼくの経験の範囲だと、一〇〇%の言霊主義者が、認めなかった。理解してくれなかった。
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言霊主義者は、夢や希望にかかわることだと、言霊思考をするということを書いたけど、このことは、逆に、言霊的な解決法の無力さを証明してしまっている。いつまでも、かなわないから、夢なのだ。「いつか かなう」と思っている。
それは、すなわち、「いまは、かなえることができない」ということなのである。
ようするに、「いまは、言霊的な解決方法では解決できない」ということを告白してしまっているのである。
「一秒以内に(これこれこういう)夢がかなう」と言ったところで、夢がかなわない。夢の内容が現実化しない。
言ったのに、夢の内容が現実化しない。
なら、言霊には力がない……言霊には「現実化さる」力がないということなのである。