言霊についていろいろと語ってきたけど、「言えば、言ったことが現実化する」というのは、妄想だ。
これ、妄想でしかないのである。
しかも、言ったあと努力をする必要なんてないのである。
言えば、すべてをかえることができるのである。言えば、すべてのことが、言った通りになるのである。
時間を巻き戻すことだって可能だ。タイムマシンなんて使わなくても、言っただけで、過去に行けるのである。実際に、行けるのである。言っただけで、過去に行けないのであれば、それは、言霊理論がまちがっているということだ。「言えば、言ったことが現実化する」という言霊理論がまちがっているということなのだ。
だから、言霊理論がまちがっているということは、いくらでも、証明することが可能だ。「地球ごと、三〇年前にもどる」とか「自分だけ、三〇年前にもどる」と言えばいい。三〇年間にもどれれば、言霊理論は正しいけど、三〇年前にもどれないのであれば、言霊理論はまちがっている。
「言えば、言った通りになる」なんていうのは、妄想だ。
「言えば、言ったことが現実化する」なんていうのは、妄想だ。
妄想でしかないのである。
言霊主義者が、言霊を本気で信じているのであれば、重度の統合失調症患者になってしまうのである。しかし、言霊主義者は、言霊を本気で信じていないので、統合失調症患者にならなくて、すむのである。
彼ら、彼女ら……言霊主義者は、本気で言霊を信じているわけではなくて、本当は、言霊なんてまったく信じていないので、統合失調症患者にならなくてすんでいるのである。これが、わかってないのである。
「実際に、現実化したことがある」と言う人たちがいる。ここでは何回も言っているけど……「言ったあと、現実化したということ」と「言ったから言霊の力によって現実化したということ」の区別がついていないだけなのである。
これは、幼児的万能感にみたされている人には、よくあることなので、精神異常には分類されないのである。ただ単に、思考的なレベルで、誤解しているだけなので、精神異常者にならなくてすんでいるだけなのである。
ようするに、自分の現実的なことに関しては、現実的に解釈して、現実的に思考しているから、問題が発生しない「だけ」なのである。もし、自分の現実的なことに関しても、言霊思考が成り立っているなら、たちまちにして、統合失調症患者になってしまうのである。
もちろん、外側から見れば、統合失調症患者になってしまうということだ。言霊主義者といえども、現実世界のなかでは、現実的な出来事に対して、現実的に対処しているのである。
しかし、ほかの人の出来事だと、「本人」にとっては、まったく現実味がないことなので、「言霊思考」をしてしまうのだ。
「本人」にとっての現実度が問題になるのである。
しかし、言霊主義者じゃなくても、幼児期を経験して生き残った人には、幼児的万能感が残っているのである。
だから、言霊思考は、それほどおかしくない思考のように感じられるのである。多くの人にとって、言霊思考は、それほどおかしくない思考だと思えるのである。だれもがそうだから、異常者にならなくてすんでいるだけなのである。
* * *
きちがい兄貴は、本人の意識的なレベルでは、現実を書き換えている感じがしていないのだけど、現実を書き換えてしまう人間なのだ。ほんとうは、でかい音で鳴らしているのに、小さな音で鳴らしていると現実を書き換えて、認知・認識してしまうのだ。
そういう特殊な精神回路がある。そういう特殊な脳の構造をもってる。
この人間によってもたらされる騒音は、こういう特殊な脳回路をもった人間によってもたらされる騒音なのである。
だから、こういう特殊な人間と一緒に暮らしている人間でなければ、わからないことなのである。
そもそも、きちがい兄貴がやっていることは、常識的な思考に一致しないことなのである。きちがい兄貴の「脳の構造」なんて、わかっている人間は、ほとんどいないのだ。実際に、一緒に住んでいる人間でないと、わからない。
しかも、きちがい兄貴本人が「俺はこういう人間だからこうする」と言っているわけではなくて、勝手に行動することによって、間接的にしめしていることでしかないのだ。
これも、重要なことだ。
本人に「やっているつもりがない」のだから、重要なことだ。ようするに、兄貴自身が、自らの脳の血管に気がついていないのだ。きちがい兄貴が、芝居で、大きな音を小さな音だと感じるようにふるまっていたなら、問題は少ない。問題なのは、きちがい兄貴に、そのつもりがないことなのだ。だから、どれだけ(こっちが言っても)きちがい兄貴は、「でかい音が小さな音に聞こえるまま」暮らしているのである。小さな音で鳴らしているのだから問題がないという気持で、ずっと、ものすごくでかい音で鳴らしているのである。ヘビメタ騒音に関してだけ、聴覚がおかしくなった状態で暮らしているのである。そして、ヘビメタ騒音に関してだけ、聴覚がおかしくなった状態で暮らしているということに、兄貴自信が、無頓着なのである。ぜんぜん、認識していない状態なのである。ぜんぜん、わかっていない状態で、ヘビメタを鳴らしながら、暮らしているのである。
ほんとうに、自分が「がまんして」静かしなければならないようなことを言われると、それは、全力で、無視するのである。この時のからだのこわばりや、真っ赤な顔が、きちがい親父とそっくりなのである。きちがい親父の場合、無言バージョンと反対語バージョンがあるのだけど、兄貴は、無言バージョンしかない。けど、基本的な事実を、全力で否定していることにはかわりがないのである。聴覚が正常なら、絶対にわかることを、否定しているのである。そして、「聴覚が正常なら、絶対にわかることを、否定している」つもりが、まったく、まったくないのである。だから、何万回繰り返しても、おなじなのである。頭の中でおこっていることは、きちがい親父とおなじなんだよ。きちがい兄貴の頭の構造ときちがい親父の頭の構造は、おなじなので、頭の中でおこっていることが、おなじなんだよ。
* * *
ともかく、レアのなかのレアなんだよ。ほかの人は、こういう「脳みそにずれがある」人間と一緒にに住んだことがないので、こういう「脳みそにずれがある」人間から、騒音攻撃を日常的に受けたことがないのだ。だから、ほかの人が、「俺だって騒音ぐらい経験した」と言っても、ほかの人が経験した騒音は、「脳みそにずれがある」人間がもたらす騒音ではないのである。
そして、一緒に住んでいるということが、めちゃくちゃに、重要なことなのだけど、「俺だって、騒音ぐらい経験した」と言っているときは、「騒音」という言葉で抽象化しているために、この重要なことを無視してしまうのである。
* * *
何万回も言われているのに、自分の音で、弟がこまっているということが、まったくわからないなんて、おかしい。頭がおかしい。自分勝手を、極めた人だ。けど、自分勝手を極めた人だという自覚がないのである。どうしてかというと、どれだけ、きちがい的にでかい音で鳴らしても、迷惑をかけたことになっていないからだ。非常識な行動をしていることにならないからだ。ようするに、きちがい的でかい音で鳴らしたいので、きちがい的でかい音で鳴らしているということを、無視しているのである。ほんとうに、都合がいい。都合よく、自分の欲求を満たしている。きちがい的でかい音で鳴らしているということを、無視しているから、自分の音で、弟がこまっているということが、まったくわからないのである。
ほんとうは、勉強だけのことではないけど、勉強だけにあたえる影響を考えても、ひどいことなのに、ひどいことをしているということが、ほんとうにまったくわからないのである。
自分だって(兄貴だって)ヘビメタではない音が、ヘビメタの音で鳴っていたら、三〇秒で、めちゃくちゃに腹をたてるくせに、自分のヘビメタに関しては、どれだけなにを言われても、わからない状態になってしまっているのである。手短に言って、親父が、酒糟のついた魚のテーブルの上に置いておきたいというスイッチが入ったときも、おなじだ。酒糟のついた魚のときも、竹のときも、電球のときも、机のときも、ハンダゴテのときも、おなじなのである。「どれだけなにを言われても、わからない状態」なのである。
そして、ほかの人には、兄貴や親父の「どれだけなにを言われても、わからない状態」というのが、わからない。わからないから、「そんな人、いない」と思ったり、「そんなことはない」と思ったりする。これも、一種の決めつけがあり、普通人の範囲だけど、認めないんだよなぁ。きちがい兄貴やきちがい親父の「認めない状態」というのは、異常だ。だから、普通の人は、そんなことはないと思ってしまうのである。これも、「認めない状態」に他ならない。そして、問題なのは、当のきちがい兄貴や、当のきちがい親父が、まったく、無頓着なことだ。怒り狂って、自分の意見を押し通し、認めないまま、行動を続けるけど……一切合切、そんな行動をしたつもりがない状態になっている。意識ではそうなんだよ。意識的な認識では、そうなんだよ。だから、本人は、ケロッとしているのだ。この、ケロッとした態度も、異常すぎて、ほかの人にはわからない。ともかく、きちがい親父やきちがい兄貴は、卑怯な手段を使って、自分がやりたいことを押し切ってやりきるのだけど、やったというつもりがないのだ。そういう精神異常なのだ。そして、ほかの人たちは、きちがい親父やきちがい兄貴の行動を実際に見たわけじゃないので、「そんなことはない」と思ったりするのだ。だから、当の本人たちは、認識がない状態で、やられている俺は、きちがい兄貴ときちがい親父の行動について認識がある状態で、よその人は、常識に照らし合わせて考えると、やられている俺の(きちがい親父ときちがい兄貴に関する認識に)疑いをもっている状態なのだ。ようするに、信じてない。俺の説明をうけても、俺の言っていることを信じないということになる。
約四割の人が、信じないし、約六割の人が、行動の意味と行動の影響を無視するのである。世間の人の約四割が、俺の話を信じないし、世間の人の約六割が、俺の話のなかに出てくるきちがい兄貴の行動やきちがい親父の行動が(俺に対して持つ意味を)無視しているのである。あるいは、過小評価しているのである。影響をうけないわけがないだろ。約六割は、『影響をうけない』と考えているわけだし、約四割は『そんなことはない』『エイリさんが嘘を言っている』と思うわけだから、生きにくくなって、当然だ。俺が、生きにくくなって当然だ。
そういうしくみが、最初から、盛り込まれているのである。きちがい兄貴のずれを理解する人間なんて、そんなにいるわけじゃない。きちがい親父のずれを理解できる人間なんて、そんなにいるわけじゃない。