「明るい人と暗い人と、どっちがいい?」とか「明るい性格の人と暗い性格の人と、どっちがいい」とか「明るい性格の人といっしょにいるのと、暗い性格の人といっしょにいるのと、どっちがいい」とかという質問がある。
これは、誘導尋問だ。
「明るい人がいい」とこたえさせたいのである。「明るい性格の人がいい」とこたえさせたいのである。「明るい性格の人といっしょにいるのがいい」とこたえさせたいのである。こたえは、決まっているのである。
しかし、じゃあ、明るい人というのは、具体的にどういう人のことを言っているのか?ということが、わからないままなのである。
明るい性格の人というのは、どういう性格の人のことを言っているのか、わからないままなのである。どういう性格のことを「明るい性格」と表現して、どういう性格のことを「暗い性格」と表現しているのか、わからないままなのである。
たとえば、出しゃばりな人を明るい性格と表現して、控えめな性格の人を控えめな性格と表現したとする。その場合、先の質問は「出しゃばりな人、控えめな人と、どっちがいい?」とか「出しゃばりな性格の人といっしょにいるのと、控えめな性格の人といっしょにいるのと、どっちがいい」という質問に書き換えることができる。控えめな性格の人一緒にいるほうが、ぼくはいいなぁ。
手短に言うと、ヘビメタ騒音のことを説明して、ヘビメタ騒音の影響を軽視して、「そんなの関係ない」「そんなの影響がない」と明るいことを言う人よりも、「それじゃ、働けなくなるよなぁ」と暗い?ことを言う人のほうが、ずっといい人だと思う。
「明るい」と「暗い」のほかに「ポジティブ」と「ネガティブ」というのがある。
「ポジティブのほうがいい」ということが、質問をする人中では、決まっているのである。
だから、「ポジティブな人のほうがいい」という回答を得ようとするのである。誘導して、質問しているのである。基本的には「ポジティブな人のほうがいい」という回答を得たあとは、「だったら、ポジティブになろうよ」と誘導するのだ。
けど、ポジティブの具体的な内容は語られないのである。「ネガティブ」の具体的な内容は語られないのである。こいつらが言いたいことは、「暗いのは、よくない」「ネガティブなのはよくない」ということと、「明るいのは、いい」「ポジティブなのは、いい」ということなのだ。
最初から、言いたいことが決まっている。
けど、人の性格なんて、ポジティブとかネガティブといった、薄っぺらい言葉で表現できるようなものではないのだ。どういうところでポジティブなのか、どういうところでネガティブなのかということを、かなり深く語らないと、「どっちがいい」なんて決められない。
人の気持ちを考えないポジティブな人よりも、人の気持ちを考えられるネガティブな人のほうがずっといいけどなぁ……。ぼくは……。まちがったことにポジティブなやつだっているぞ。迷惑行為をポジティブにおこなうやつだっているぞ。
なんで、ポジティブなのが、いつもいいと決まっているのか? どうして、ネガティブなのはよくないと、いっつも決まっているのか? こんなのは、おかしい。ぼくは、こういうやり方自体が、いやなんだけどなぁ。ぼくは……こういうやり方に嫌悪感をもつんだけどなぁ。