きちがい兄貴という要素が、どこまでも、どこまでも、たたる。あいつが、ヘビメタを思いっきりでかい音で鳴らそうと思わなければ、ぼくの人生は、まったくちがったものに鳴っていただろう。あいつが、ヘビメタを思いっきりでかい音で鳴らそうと思わなければ、それで、すんだ。そういう障害が発生する人がすくないのである。だから、まったく理解しない。普通の人は、理解しない。がんばって、言えば、やめてくれるような家族としか、住んでいない。きちがいレベルで感覚がおかしいやつと住んでいるわけじゃない。どれだけ、こまるかわかってない。やられてないから、わかってない。やられた生活が、毎日、十数年続くことがないから、わかってない。影響のでかさがわかってない。たとえ、七年間でも、中学の三年間、高校の三年間を(すべて)含んだ七年間だったら、人生が破壊されるようなハンディになる。実際に、中学の三年間、高校の三年間を(すべて)含んだ七年間がなかったから、「そんなの、影響ない」「そんなの、関係がない」と言える。ただそれだけなのに、こいつらは、えらそうだし、認めないのである。ハンディのでかさを認めない。そのくせ、俺に対して「いいことを言ってやった」と思っているところがある。これは、エイリというやつは、「あたりまえのことがわかってない」と思っているということだ。影響がないので、影響があると言って、やろうとしないエイリというのは、しかたがないやつだと思っているのだ。そう思って、なめてくる。こんなバカな連中に、なめられる。きちがい兄貴が、やらなければ、こんなやつら、俺の視界にあらわれないやつらなんだよ。
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ヘビメタ騒音がはじまってから、「言いようが、ないはずかしさ」というのがある。ヘビメタ騒音がはじまってから、「言いようがない立場の悪さ」というのがある。これだって、やられてないやつは、まったくわかってない。わからずに、せめてくる立場の人間だからな。わかってない。こいつらはこいつらで、バカなんだよ。きちがいにやられて、バカにバカにされるようになった。バカはバカだから、わからない。どれだけ「不可避的な影響がある」ということを言ったって、認めない。バカだから、わからない。バカでも、経験があれば、わかるけど、経験がないから、わからない。
これ、ほんとうに、不可避的にそうなるのである。そりゃ、世間のやつらは、きちがい家族のきちがい的な騒音なんて経験しない。毎日、十数年間、きちがいのレベルで、騒音が続くことが、ない。毎日、十数年間、きちがいのレベルで、騒音が続くことがないので、影響のでかさがわからない。そうなると、建前が正しいということになる。きれいごとが正しいということになる。こいつらの感覚というのは、きちがい家族が、きちがい的な騒音を鳴らしてない条件下での、感覚だ。きちがい家族が、きちがい的な騒音を鳴らしてない条件下で成り立つ建前が、正しいと思っているわけだ。きちがい家族が、きちがい的な騒音を鳴らしてない条件下で成り立つきれいごとが正しいと思っているわけだ。ほかはないのである。実際には、経験したことがないのでわからない。
積み重なって、できなくなるということを、どれだけ言っても、こいつらは認めない。「そんなのは関係がない」と言う。そのなかの多数派が「エイリさんがこだわっているからだめなんだ」と言いやがる。あるいは、そう思っている。「こだわっている」などという言葉は、ほんとうに、ぼくを傷つける言葉だ。これ、そういうことばを選んで、そうやって攻撃してくるのではないかと思うほど、きちがいヘビメタで毎日きりきりまいの思いをしているぼくには、腹がたつ言葉なのだ。言いがたい気持ちがわいてくる言葉なのだ。これだって、こういうことを言うやつは「いいことを言ってやった」と思っているんだろ。どれだけ、バカで、どれだけ俺をなめてくるんだ? これ、なにもわかってないバカだから、言えることなんだよ。まあ、そんなことを、どれだけ説明しても、わからないとは思うけど……。