「消しゴムを動かそう」と思わなかったら、消しゴムは動かなかったのだから、思いは重要だという言い方について考えてみよう。
思わなかったから結果的に、そうならなかった。これも、思えば、思っただけで、思いが現実化するというまちがった結論を補強するものとして語られることなのだ。
思わなかったから、現実化しなかった。なら、思ったことは現実化するのか?
だましがある。
そして、思わなかったことというのは、自分の思考に関することなのだ。自分の行動に関することなのだ。「明日は雨がふる」と思わなければ、いつも、雨がふらないのか?
ちがうだろ。
「明日は、雨がふる」と思わなくても、雨がふってしまうことがある。これは、自分の身体を動かして、現実化するようなことではないので、「自分が思わなかった」ということとは、まったく関係なく、結果が発生するのだ。
思わないことで、発生させないことができるのかというと、それはちがうのだ。
自分の身体を動かしてやることに関しては、たしかに、思わなかったことで、現実化しないことが多い。だから、全部がそうなのか?
ちがう。
法則性が成り立っているのか?
ちがう。
「(自分が)思わなかったことは現実化しない」という法則なんて成り立っていない。
けど、例として、自分が思わなかったから、自分がしなかったことをあげ、あたかも、「自分(自分が)思わなかったことは現実化しない」という法則が成り立っているようなイメージをあたえるのだ。詐欺。トリック。
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「思いが現実化する」という言い方や「思ったから現実化した」という言い方だと、起点として「思ったから」ということが言える。けど、それは、起点として思ったからだ。起点として思って、自分のからだを使って動かしたのだ。
だから、これは、「念力」で動かしたのとは、ちがう。
けど、「思ったから現実化した」と言ってしまう。
消しゴムの場合だと、念力で消しゴムを動かした場合と自分の身体を使って動かした場合は、ちがうのに、そのちがいを、無意識的に無視するのだ。
だから、「思ったから現実化した……。これが正しい」と思うことになる。
たしかに、起点としては、消しゴムを動かそうと思ったということがある。けど、思っただけでは、動かないのである。本人が、本人の身体を使って動かした。
これは、思いの力で、消しゴムを動かしたのとはちがう。ぜんぜんちがう。ところが「おなじだ」と思っているのである。どっちも「思ったから」「移動した(動いた)」と思っているのだ。
ぜんぜんちがうことについて言及しているのに、おなじことについて言及しているつもりなのだ。こういうレベルの錯誤がある。