本人しか言いようがないのだけど、ほんとうに、やばい立場にたたされるようになるのである。まあ、「立場にたつ」は、二重表現ではないとする。これ、「側に立つ」や「立場になる」が正しいのだけど、なんか、すわりが悪いんだよなぁ。まあ、いいや。
ほんとうに、ヘビメタ騒音「で」立場がなくなる。ヘビメタ騒音「で」ほかの人から見て、なんだかわからない人になってしまうのである。これがきつかった。ヘビメタ騒音がなければ、それなりの高校に行って、それなりの大学に行って、学問の世界で生きることができたと思う。その場合は、職業を言えるわけだ。けど、きちがいヘビメタ騒音「で」働けなくなったので、職業を言えなくなる。これは、職業に限った話ではなくて、普通なら、大学生か、あるいは、働いている年齢なのに、どっちでもないと、「すわりが悪い」のである。この「座りのわるさ」と言ったら、経験した人しかわからないのではないか。そして、問題なのは、きちがいヘビメタ騒音「で」そうなっているということなのである。みんな、ヘビメタ騒音「で」そうなるとは思ってない。みんな、ヘビメタ騒音「で」そうなっていると、思わない。説明されても、実際に経験しているわけではないから、必然性がわからないのである。「自分なら鳴っていたって、平気だ」という前提で、「そんなの関係がない」と言う。「自分なら、鳴っていたってそんな影響は受けない」という前提で「影響なんてない」と言う。ほとんどの人がそうだったね。だから、居場所がなくなっていくのである。