2025年3月21日金曜日

「楽しいと言えば楽しくなるのに、楽しいと言わないからダメなんだ」

なにも不愉快なことは発生してないのに「不愉快になる」と急に言って、言った結果、言霊の力によって不愉快な気持になったわけではないのである……と書いたけど、これは、短く書くと、「不愉快になる」と急に言って、不愉快な気持になったわけではないのである……ということになる。

不愉快な出来事が発生してないのに「不愉快になる」と言ったから、言霊の力によって、不愉快な気持になったのではないということだ。

楽しいことに関しても、状況に関係なく、「楽しいと言ったから、楽しくなる」わけではないのである。たとえば、言い家族に恵まれて、いい友人に恵まれて、楽しいことが、相対的にたくさん発生するような状態でくらしているとする。

その場合、別に、「楽しいことが起こる」と言わなくても、わりと頻繁に楽しいことが発生するのである。これも、持続的な繰り返しがあるから、楽しいことが発生して、楽しいと感じることができるのである。

ようするに、出来事に対応して、楽しいと感じるわけだ。

そういう生活の中で、たとえば、「楽しいと言えば楽しくなる」ということを言われて、「楽しい」と言ったら、なんとなく楽しくなったというだけの話なのである。

あるいは、楽しいことが起こるという繰り返しがあるので、「楽しい」と言った「あと」実際に、楽しいことが起こった場合は、「楽しい」と言った「から」楽しいことが起こったのだと「誤解」することができる。

なので、「事実そうなった」「事実だ」と思うことができるのである。

「誤解」なのだけど、実際に、「楽しい」と言ったあと、実際に「楽しいこと」が、起こったので、「楽しいと言えば楽しいことが起こる」という命題は「真」であると考えてしまうのである。もちろん、まちがいだ。

ところが、精神世界の人も、一般人も、みんなみんな、条件は無視するので、「楽しいと言えば、楽しくなる」という言葉がひとり歩きをするようになるのである。

ようするに、この場合は、一〇〇%詐欺が成り立っているので、状態に関係なく、状況に関係なく、「楽しいと言えば、楽しくなる」ということになってしまうのである。

みんなが、「楽しいと言えば、楽しくなる」ということを信じている状態だと、「そうではない」と言いにくくなってしまうのである。たとえ、言っても、信じている人は、ぼくが言っていることを認めない。

「実際に、楽しいと言ったあと、楽しいことが起こった。これが真実だ」と言って、きかないのである。「楽しいと言えば、楽しくなる」という言葉を命題として考えた場合、偽であるということは、確実なんだけど、「実際に、楽しいと言ったあと、楽しいことが起こった。これが真実だ」と言っている人は、「偽」であることを認めない。「真」であると言いきる。

*     *     *

この人たちは、みんな、最悪の条件をかかえている人よりも、条件が「相対的に」いい人たちなのである。だから、「実際に、楽しいと言ったあと、楽しいことが起こった。これが真実だ」と思えるだけなのである。

ところが、この人たちも「自分だって苦労した」と言ってゆずらないのである。

「くるしいときこそ、楽しいと言えばいいのだ」と言って、ゆずらないのである。

「自分だって苦労した」という言葉で、苦労の質と量を問題にしないようにしてしまうのである。

最悪の条件をかかえている人の苦労と、自分の苦労は、おなじぐらいの苦労だと設定してものを言ってしまうのである。しかし、大きく、苦労の内容がちがうのである。また、苦労だと思えることが発生する頻度がちがうのである。

つまり、苦労の質と量がちがう。「実際に、楽しいと言ったあと、楽しいことが起こった。これが真実だ」と言ってしまう人が、かかえている苦労や、かかえていた苦労なんて、ほんとうに、たいした苦労じゃない。もう、断言できる。

そんなことを言えるはずがないのである。

最悪の条件をかかえている人は、そんなことを、言えるはずがない。

最悪の条件をかかえている人よりも、ずっと良い条件をかかえているので、「実際に、楽しいと言ったあと、楽しいことが起こった。これが真実だ」と言っているだけだ。これ、本人が、わかってないんだよね。

そんなことは、言えなくなる条件がある。そういう条件下でくらしたことがないから「実際に、楽しいと言ったあと、楽しいことが起こった。これが真実だ」などと言うことができるだけだ。

実際に、「実際に、楽しいと言ったあと、楽しいことが起こった。これが真実だ」と言えない条件下でくらしたら、「実際に、楽しいと言ったあと、楽しいことが起こった。これが真実だ」なんて言えなくなる。これが、真実だ。

*     *     *

ほんとうに、条件が悪い状態でくらしている場合、頻繁に、悪いことが起こるのである。そういう条件がある。まわりの人がどういう人かという条件は重要なんだよ。

ところが、条件が悪い人だって「楽しいと言えば楽しくなる」ということになってしまう。そういう意味で、精神世界の人も、一般人も、「楽しいと言えば楽しくなる」という言葉を使いたがるし、実際に、そういう意味で、「楽しいと言えば楽しくなる」ということばを使っている。

だから、ズレがあるのだけど、条件を無視している人には、ズレが見えないのである。条件を無視している人は、一〇〇%詐欺に引っかかり、どんな条件でも、「楽しいと言えば楽しくなる」ということが成り立つと信じ込んでいる状態でくらしている。

これは、まちがいだ。ところが、まちがいだとは思っていないので、「楽しいと言えば楽しくなるのに、楽しいと言わないからダメなんだ」と条件が悪い人に、ダメ出しをするようになるのである。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。