2025年3月3日月曜日

精神世界の人だって、ゲロを避ける(2)  その必然性が(やられてない他人には)わからないのである

 もうすでに、きちがい的な家族が、きちがい的な大音量で、自分のきらいな音を鳴らしている場合は、現実的な問題なのである。

もうすでに、現実的な問題が発生しているのに、言霊や思霊で対処できるわけがないだろ。

実際に、「一分以内に、鳴りやむ」と何回言っても、鳴りやまなかった。

現実的な問題について、言霊的解決方法や思霊的解決方法について語るのは、ナンセンス。 現実的な問題について、言霊的解決方法や思霊的解決方法をすすめるのは、ナンセンス。

これ、助言になってないのに、いい助言をしたと(言霊主義者や思霊主義者は)思ってしまう。言霊を信じている人や思霊を信じている人にとっては、言霊的な問題解決方法や思霊的な問題解決方法は、じゅうぶんに現実的な問題解決方法なのである。

けど、相手にとっては、それは、まったく現実的ではない。

これも、言霊主義者だって、本人の現実的な問題に関しては、とくに、言霊を使っていないのである。現実的解決方法だと思ってないから、最初から、現実的な問題に関しては、言霊思考が関与するスキがないのだ。

ようするに、現実的な問題で「余裕がない」と言霊思考にならないのである。

ある程度、問題との距離があり、「余裕がある」と言霊思考になる。

だから、現実度ということを考えた場合、本人のことについては、本人において現実度が高い問題に関しては、現実度が高いということは、わかっているのだけど、相手のことになると、相手の問題だから、本人の現実度が極端にさがるのである。

「本人」と「相手」という言い方をすると、本人の場合は、本人の問題だから、本人にとって現実度が高くて、相手の問題だと、相手の問題なので、本人にとって現実度が低いのである。

だから、普段は、自分の現実的な問題に関しては、言霊思考をしない言霊主義者であっても、相手の問題は、自分にとって現実度が低いので、途端に、言霊思考をしてしまうのである。

すでに発生している問題なのか、それとも、将来(低い確率で)発生する問題なのかということを考えなければならないのである。

これを、区別せずに、「言霊は正しい」「言ったことが現実化する」「思ったことが現実化する」と思っているから、現実的な問題をかかえている人を傷つけるのである。

すでに現実的な問題をかかえている他人を、傷つけるのである。

まちがった助言をして、まちがった助言しているということにまったく気がつかないなんて、ひどいことだと思うけどなぁ。

現実的な問題をかかえているのに、言霊主義ゃや思霊主義者から、現実的ではないことを言われて、問題が増えてしまうだろ。すでに、現実的な理由があって、現実化している問題に関しては、言霊的解決方法や思霊的解決方法は、まったく役に立たないんだよ。無力なんだよ。

*     *     *

きちがい兄貴も言霊主義者も、普段「あたりまえのように」やっていることを、やっていると認識してないのである。けど、もちろん、おなじではない。

言霊主義者の言霊法則の無視は、現実に対応したものなのである。

言霊主義者は、普段、現実主義者で、現実に適応して生きているのである。言霊主義者が、普段も、言霊的な行動をとっていたら、現実に適応できなくなってしまうのである。

言霊主義者は、普段、言霊法則を無視して、現実に適応しているということを、無視しているのである。ごく普通にやっているのに、やっているという感覚がない。

言霊主義者は、自分が言霊法則にしたがってないということを、うまく、認知・認識できないのだ。言霊法則にしたがわず、現実的な行動をしているときは、言霊法則にしたがってないということを、意識することができない。

いっぽう、きちがい兄貴は、よそのうちでは鳴らせないようなでかい音で音楽を鳴らすという逸脱行動をしているのに、逸脱行動をしているということに、気がつくことがないのである。

言霊主義者は、言霊原理にしたがわす、現実原理にしたがって行動しているということに気がつかないわけだから、けっきょく、現実に適応しているのである。

けど、きちがい兄貴は、現実に適応しているとはいえない。きちがい兄貴が無視しているのは、逸脱行為をしている「自分」なのである。「自分」というのは、きちがい兄貴自身のことだ。

つねに、逸脱行為をしているのに、つねに、逸脱行為を「している」という自覚がないし、つねに、逸脱行為を「した」という自覚がないのだ。うちのきちがい兄貴には自覚がない。

そのぶんの、「ズレ」がぼくのほうに、つかれとして、あらわれてしまうのである。勉強することができないということにあらわれてしまうのである。「宿題を忘れる(宿題をやらないまま登校する)」ということにあらわれてしまうのである。

きちがい兄貴が逸脱行為をしているのに、俺が逸脱行為をしているように思われてしまう。

きちがい兄貴が、逸脱行為をするから宿題ができないというのは、鳴っているときの状態から言って、事実なのだけど、その場にいない人には、それがわからないのである。ようするに、「こうなる」という必然性が見えていないのだ。

ヘビメタ騒音が鳴っていれば、宿題ができずに、宿題を忘れるということになるのだけど、その必然性が見えない。

ヘビメタが「かりに」鳴っていても、宿題ぐらいできるはずだと、ほかの人は、思い込んでいる。けど、むりなのだ。

おなじことが、遅刻にもあらわれる。あれだけ鳴らされて、普段、(ヘビメタ騒音がなければ眠れていた時間に)眠れなくなるのは必然なのに、その必然性が(やられてない他人には)わからないのである。

わからなければ、「鳴り終わったら眠れる」「ヘビメタ騒音あびたって、夜になったら眠れる」ということになってしまう。その人のなかで、そういうことになってしまう。

だったら、「エイリがあまえているんだ」「エイリが嘘を言っているのだ」ということになってしまう。その人のなかで、そういうことになってしまう。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。