ヘビメタ騒音で、人生ないわぁ。ヘビメタ騒音で、人生ない。きちがい兄貴が、まったくなにもしてないつもりで、すべての時間鳴らしたということが、気に食わない。ほんとうに、一秒もゆずってくれなかった。ヘッドホンで鳴らしてもいいはずなのに、俺がどれだけ困っていても、絶対にヘッドホンは使わず、スピーカで鳴らすことにこだわってこだわってこだわって、スピーカーで鳴らした。だから、こだわっているんだよ。ところが、本人は、こだわっているつもりがまったくないのである。きちがい兄貴のなかでは、俺がどれだけこまっていたってかまわないのだ。弟がどれだけ、自分のヘビメタの音でこまっていたって、気にしない。気にならない。どれだけ言われても、理解しない。まったくまったく、気にならない。これ、きちがい兄貴が、親父にやられたら、きちがい兄貴は、わかるんだよ。きちがい親父が、自分(きちがい兄貴)の都合を無視して、頑固にやりきっているということが(きちがい兄貴には)わかる。きちがい親父が、普通なら、絶対にわかることを、わからないまくやりきっているということが、きちがい兄貴にもわかる。きちがい親父が、きちがい兄貴にやる場合も、きちがい親父はまったく理解してないのである。どれだけ言われても(きちがい親父は)まったくわからないのである。けど、きちがい兄貴は、自分がやられれば、(親父がきちがい的な意地で迷惑行為をしているということが)わかるんだよ。きちがい親父のような他人がきちがいモードでおなじことをやれば、きちがい兄貴は、腹がたつわけ。どうして、自分がおこっているかわかるわけ。きちがい親父の態度が異常だとわかるわけ。けど、自分がやる番になったら、絶対にわからない。親父とおなじでわからない状態に鳴ってしまうのである。ちょっとでも、ほんとうに我慢しなければならないことを言われたら、発狂して、はねのけておしまいだ。親父は、絶叫バージョンと寡黙バージョンがあるけど、きちがい兄貴の場合、寡黙バージョンしかない。むすーーーっとした、真っ赤な顔をして、(殺されないので)やりきる。やりきっているんだよ。ところが、全部……一〇〇%やりきっても、まったくまったく、やってないのとおなじ気分なんだよ。これが、きちがい兄貴と、わざわざ、きちがいをつけて呼ぶことの理由だ。こんなの、ない。きちがい兄貴は、きちがい親父とおなじように、悪いことをしているつもりがないのである。どれだけ言われたって、本人のなかでは、やっていいことをやっているような気持ちしかないのである。ぜんぜんこだわってないような気持ちしかないのだけど、それは、一〇〇%全部、自分がゆずらずにやりきることができるから、こだわってないだけなのだ。一秒間でも、ほんとうに自分がゆずらなくなったら、発狂する。発狂して、絶対の意地でやろうとする。だから、殺さなければならなくなる。これ、殺さないとやめさせることができないんだよ。何度も言うけど、悪いことをやっているつもりがない。迷惑行為をやっているつもりがない。どれだけ言っても、弟が自分の音でこまっているということが、発狂的に、わからない。わからないのであれば、どれだけやっても、やったことにならないのである。悪いことをしているつもりが、どこまでも、まったくない。だから、全部がめてしまうのだけど、全部がめて、相手にすべての時間迷惑をかけているということが、わからない。きちがい兄貴は、まったくわからない。この状態が、ほんとうに、きちがい的な状態なのだ。これ、言いようがないよ。結果、ぼくが、ほかの人から、嫌われるのである。プレゼントをかえすことができなくなってしまう。きちがい兄貴のきちがい騒音でそれどころじゃないのだ。そして、高校を落ちまくって、それどころじゃないという状態になる。けど、高校を落ちまくってこまっているときも、きちがい兄貴は、七時間鳴らせるなら、七時間鳴らして、一三時間二〇分慣らせるなら、きっかり一三時間二〇分、鳴らして、ゆずらなかった。けど、ゆずってやらなかった」という気持かない。「全部がめてゆずってやらなかった」のに「全部がめてゆずってやらなかった」という気持がないのだ。認識がまったくない。
ほんとうに、人生のなかで、一日だけのぞいて、すべての日、まったくゆずってくれなかった。きちがい兄貴はゆずってくれなかった。自分が一三時間二〇分鳴らせるのに、二時間がまんして、一一時間二〇分にしてやるということが、本番の試験前だろうがなんだろうが、ないのである。もちろん、二時間ゆずってくれても、本番の試験前に一一時間二〇分やられたら、こまるのである。本番の試験の前には、本番の試験の前の期間がある。本番の試験二週間前なら、二週間前だ。人生のなかで一日だけのぞいて、すべての日、全部の時間やられた。これが事実だ。もちろんゆずってない。そして、仮に、二時間ゆずってくれたとしても、フルの時間から二時間引いた時間、鳴っていれば、それで、気分がぐちゃぐちゃになる。なんてたって、高校受験の時ですら、三年以上、日曜・祭日も含めて、毎日、鳴っていた音だからだ。その音で、勉強ができなかった。こういう音が、受験前の期間に鳴っていれば、それは、もちろん、尋常じゃない気分になる。言っておくけど、普通の家だったら、一分間だって鳴らせないようなでかい音で鳴らしているのである。