「明るいことを言えば、明るいことが起こる」というのも、家族や友人に恵まれて、明るいことが、頻繁に起こっている人が考えると、あたかも、その言葉が正しい言葉のように思えるのである。
ところが、一〇〇%詐欺が成り立っているので、「真」ではないのである。一〇〇%詐欺に引っかかっていなければ、「偽」だということが、わかるのである。
ようするに、命題として考えれば、「明るいことを言えば、明るいことが起こる」という命題は「偽」なのである。
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「明るいことを言えば、明るいことが起こる」ということを信じられる人は、幼児的万能感に支配されている人なのだけど、それとは別に、実際に条件に恵まれた人なのである。
だから、別に「明るいことを言わなくても」頻繁に明るいことが起こる状態でくらしていたのである。それは、さまざまな条件が影響をあたえている。
ようするに、実際に、明るいことを言わなくても、頻繁に明るいことが起こっている場合、「明るいことを言えば、明るいことが起こる」と思って、明るいことを言ったら……言った「あとに」明るいことが起こるということがある。
なので、実際には、「言ったあと」なのだけど、「言ったから」だと誤解をすることができるのである。誤解だけど、本人は誤解だと思ってないので、「明るいことを思えば明るいことが起こるというのは、真実だ」と思ってしまう。
そういう人も、人間として暮らしていれば、「苦労をする」ので、「自分だって苦労した」と本気で言えるのである。
しかし、「明るいことを言えば、明るいことが起こる」ということを信じられる人の条件と、ぼくの条件はちがうのである。
まあ、悪い条件をかかえた人は、悪い条件によって、明るいことを言っても、暗いことが起こるようになっているのである。
しかし、「明るいことを言えば、明るいことが起こる」ということを信じられる人や、一般人は、条件を最初から、ガン無視するので、条件にかかわることを一切合切考えないのである。
ただ、自分が言ったかどうかということが重要だということになるのである。
「明るいことが起こると言ったか」「明るいことが起こると言わなかったか」という条件だけが、結果を決めると考えているのである。もちろん、まちがいだ。これ、まちがいなのである。ほかの条件を、ガン無視しているから、正しいように思えるだけなのである。
条件が悪い人がこまっているのは、条件が悪いからなのだけど、言霊的なことを言う人たちは、みんな、条件が悪い人の条件を無視するのである。
これは、失礼なことなんだよ。まったく、失礼なことだと感じていないみたいなんだけど、失礼なことなんだよ。
そして、言霊的な解決策の提示は、有害なんだよ。最悪の条件をかかえている人に、最悪の条件をかかえていない人が、有害なことを言って、ダメ出しをする。
そういうことがまかりとおっている。これは、いいことじゃなくて、悪いことなんだよ。
最悪の条件をかかえている人が条件について、言及すれば、言霊信者や一般的な人は「自分だって苦労した」と言って、最悪の条件をかかえている人の条件を無視するのである。
そりゃ、苦労したのはほんとうだろうけど、最悪の条件をかかえているわけではないということも、ほんとうのことなのだ。おなじではない。条件がちがう。
条件を無視して、ストレスをかけるめちゃくちゃなことを言い、そして、「自分だって苦労した」と言って、自分の意見を正当化するのである。相当にいろいろなポイントでまちがっている。
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外部条件によって、頻繁に、明るいことが起こるなら、「明るいことを思っていると明るいことが起こる」と思うことができるだけなのである。精神世界の人は、因果を逆転させて考えているのだけど、もうひとつ、無視しているものがある。それが、繰り返しだ。繰り返し起こることに関しては、たしかに、暗いことが起こった場合、暗い気持ちになるので、暗いことが起こるのではないかという気持になる。また、実際に、暗いことが、「繰り返し」起こっているのだから、精神世界の人が、その人はネガティブな性格だと考えることができるような性格になるのである。外部条件によって、「繰り返し」暗いことが起これば、そりゃ、物事に対して暗い見方をするようになる。それを、性格だというのであれば、性格なのだろう。しかし、精神世界の人は「外部条件」を無視しているので、その人……たとえば、繰り返し暗いことが発生しているので、暗い性格だと思われる人の性格の問題だと思ってしまうのである。なので、外部条件が悪い人は、精神世界の人から、暗い人間だと思われるようになるのである。精神世界の人は、暗いことを言っているから暗い性格だ」とか「暗い見通しをもっているので暗い性格だ」と思ってしまう。精神世界の人と書いたけど、精神世界に凝ってない「他人」も、「外部条件」を無視して、「繰り返し起こること」を無視して、「その人」の性格について考えるということは、おなじだ。実際には、正確ではなくて、外部条件がもたらす「人間としてあたりまえの反応」をしめしているだけなのに、外部条件が悪いので、外部条件を無視する人にとっては、「その人」が暗い性格の人間だと思えるようになるのである。そうなると、条件を無視して考える人は、「その人」が暗い人間だから、暗いことが起こると思って敷くおのである。「その人」が暗い見通しをもっているから、暗いことが起こると思ってしまうのである。外部のものによって、発生する暗い出来事を、「その人」の性格のせいにしてしまうのだ。
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何回も書いていることだから、軽く説明するけど、繰り返し悪いことが起こっているのであれば、その悪いことがまた起こるようになるのではないかと思うのは、当然のことだ。どうしてかというと、その悪いことをもたらす「外部条件」がかわっていないし、人間は、そのことを認知し(外部条件がかわっていないということを認知して)予想をたてるからだ。人間は学習するのである。
だから、当然なんだよ。
手短に言えば、人間なら、暗い性格ではなくても、学習するから、予想をたてることができる。予想は、暗いことがこれからも起こるのではないかという予想だ。
それを、因果関係や出来事の順番を無視する精神世界の人が、誤解をしているだけなのである。精神世界の人が勝手に誤解をして、「暗いことを考えるから暗いことが起こる」と断言しているだけなのだ。完全にまちがっている。
そして、これは、じつは、悪いことなのである。精神世界の人は、いいことをしていると思っているけど、じつは、悪いことをしている。
けど、そういうことを言ってやられる人がいないのだ。
みんな、子どもだから……つまり、幼児的万能感に支配されているので、因果関係や出来事の順番を考えない。
言えば、言いがちの世界だから、言っていい気分になったやつが「かち」で、言われて不愉快な気分になったやつが「まけ」だということになる。
これが、明るい世界を求めている人たちが、やっていることなのである。外部条件によって、繰り返し起こっているということに目を向ける人は、ほとんど、いない。「そいつの性格が暗いからダメなんだ」とダメ出しをして、満足してしまう。