人間にはストレス対抗の力がある。だから、ずっと、たえられるかというとそうではないのだ。これは、説明した。
今度は、ストレスのほうを説明する。
サービス残業をさせようとしている経営者が「元気だ元気だと言えば元気になる」と言ってつかれている従業員にサービス残業をおしつけようしている場合、そのサービス残業のストレスは、悪いストレスなのである。
報酬があるという前提で、適切な時間だけ働いている場合は、よいストレスなのである。また、適度なトレーニングをしている場合は、よいストレスなのである。
ストレス刺激が善玉か悪玉かで、長期間、そのストレス刺激にさらされた場合の効果がちがうのである。効果というのは、体にあらわれる影響のことだ。
きちがいヘビメタ騒音のなかで、パズルを解こうとする場合、ヘビメタ騒音が悪玉ストレス刺激だから、長期間続けば、負の効果があらわれるのである。
いっぽう、騒音がない、しずかな環境で、パズルを解く場合は、パズルを解いたことによって、ちょっとずつパズルに強くなっていくのである。この場合、「パズルを解く」ということは、善玉のストレス刺激なのである。
ちなみに、騒音という悪玉条件下で、パズルを解こうとすると、パズルが解けないので、負の経験が積み重なるということになる。パズルを解くということ自体が、どんな場合でも、善玉ストレスだとは限らないのである。騒音下で、パズルを解こうとするのは、悪玉ストレスになる場合がある。
普通に働くのと、サービス残業をするのとでは、背景になる文脈がちがうのである。サービス残業の場合は、おカネが発生しないので、おカネが発生しないということが、わかっているということになる。なので、仕事自体のストレスと、おカネが発生しない仕事をするということのストレスは、ちがうのである。
こういうことを、無視して、「体が慣れてくる」とか「俺だって、苦労した」とかと言って、ストレス刺激をいいことのように言うのはよくないことなのである。
これがわかってないやつが、どれだけいるか?
努力の努力がちがうとずっと言っているだろ。苦労の苦労がちがうとずっと言っているだろ。適切なストレスがかかっている場合と、不適切なストレスがかかっている場合はちがうのである。あとは、時間の長さ、期間の長さは、重要だ。
時間の長さも、期間の長さも、ストレス刺激の質も無視して、「俺だって苦労した」「体が慣れてくる」と、きちがい家族によるきちがい騒音を正当化するのは、やめろ。
頭が悪いやつばかりだな。傲慢なやつばかりだな。ヘビメタ騒音の影響を無視する発言は、ゆるせない。
どうして、ストレスの質を無視するんだ?
どうして、背後の文脈を無視するんだ?
どうして、ストスレ刺激の持続時間を無視するんだ?
どうして、ストレス刺激の持続期間を無視するんだ?
ちがうじゃないか。
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まあ、区別しないでひとまとめにして考えているか、あるいは、ほんとうに、区別する能力がないのだろうけど、もうちょっと、区別して考えたほうがいいよ。