2025年3月14日金曜日

家族だと、「うち」という閉鎖空間が成り立っているので、ほかの人は、関知しない(2)

それから、もう一つ言っておきたいことがある。それは、実際に、きちがい的な親が、きちがい的なことを、やりきるので、きちがい的な親にたたられている子ども側の人は、ネガティブな気持になりやすいということなのである。

きちがい的な親というのは、きちがい的な親の脳みそにしたがって、普通の人がやらないことをやるのである。普通の人がやる場合は、配慮が必要なことを、まったく配慮しないでやってしまうことも多いのである。

そして、きちがい的な親は、相手がこまっているということが、まったくわからない人なので、相手が「やめてくれ」ということを言ってきた場合には、起こるという反応をする。

その場合、起こって、やりきるわけだから、もともとの不愉快な行為にくわえて、起こられるという不愉快な出来事が付け加わってしまうのである。さらに、もともとの不愉快な行為(迷惑行為を続けてやる)のだから、「やめてくれ」と言ったあとも、ずっと、迷惑行為をやられるということになる。

そして、迷惑行為をしたというつもりがないので、「迷惑行為をしてない」思ったままになってしまうのである。

きちがい的な親側の頭の中で起こっていることは……こういうことなので……迷惑行為をやり続けることになってしまうのである。そうなると、迷惑行為をされる頻度が高くなるのである。

これは、実際に、不愉快なことが頻繁に起こるということだから、もし、普通の愚痴度?で、親の行為について言及した場合、ほかの人から見て、きちがい的な親にやられている子ども側の人が、愚痴の多い人に見えてしまうのである。

いやなことが発生した回数を分母にして、実際にいやなことがあったと言う回数を分子にした値を、愚痴度と呼ぶことにする。いやなことがあったと言うことは、かなしずしも、愚痴を言うことと等価ではない。相手がどのように感じるかが重要なのである。しかし、今回は、いやなことがあったと、だれか言ったら、それを聞いた他人は一〇〇%の確率で愚痴を聞かされたと思うということにする。ようするに、いやなことがあったと言う回数と、愚痴を言った回数がおなじだとする。

以上のことをふまえたうえで、話をすすめる。

たとえば、一〇個いやなことが起こった場合、一個のことについてほかの人に言うという場合の愚痴度は一〇分の一だ。〇・一だということにしておこう。そして、一〇〇個のいやなことが起こった場合、愚痴度が〇・一だと、一〇にいやなことについてほかの人に言うということになるのだ。

愚痴度はおなじなのに、一〇個いやなことが起こる場合は愚痴をあんまり言わない人というとになり、一〇〇のいやなことが起こる場合は、愚痴を言いやすい人だということになるのである。

愚痴度というのは、表面的な意味で、どのくらい愚痴を言うかの度合いのことだから、性格として語られることだ。愚痴を言いやすい人と、愚痴を言いにくい人という具合に、性格として語られる。

しかし、実際に発生個数がちがう場合は、愚痴の言いやすさの度合いとして理解してしまうわけにはいかないのである。性格傾向ではないかもしれないのである。

単位時間当たりの発生個数が問題になっている場合がある。まあ、なにを「いやなこと」と感じるかは、たしかに、人によってちがう。しかし、いやなことだと感じることには一定の傾向があり、ほとんどの人にとっていやなことは、やはり、ほとんどの人にとっていやなことなのである。つまり、なにがいやなことかということについては、確かに個体差があるのだけど、それでも、全体的な傾向がある。事柄と受け止め方の間には、あるていど、人間に共通した受け止め方があると前提して話したほうが、そうではない前提で話した時よりも、えるものが多いので、そうすることにする。つまり、たしかに、受け止め方には個体差があるのだけど、しかし、すべては受け止め方の問題だとは言えない部分があるのである。たとえば、悪臭は、ほとんどの人が、悪臭だと感じる。あるいは、悪臭だと、ほとんどの人が感じるにおいがある。でかい音のすべてが、騒音ではないけど、でかい音は、小さな音よりも、そうおんだとんかんじられるきかいが多いのである。音のでかさと、人間が騒音だと感じるどうかは無関係だと言えない。ある人にとって、そのでかい音が快感をもたらす音だとする。そして、別の人には騒音だと感じるとする。だったら、人によってちがうのだから、全体的な傾向(感じ方の傾向)がないかと言えば、あるのである。だから、すべては受け止め方の問題だとは言えない部分があるのである。

つまり、受け止め方の個体差はあるけど、それでも、完全に受け止め方の問題だとは言えない状況の中で、人は暮らしているのである。このことは、あとでもう一度、考えなければならない。けど、今回は、このくらいにしておこう。

今回言いたいことは、実際に「不愉快だと思う回数」が多ければ、おなじ愚痴度の人でも、愚痴を言う回数が多くなると言うことだ。愚痴を言う傾向(愚痴を言いやすい傾向)はたしかにあると思うけど、いやなことが発生する回数を、無視するわけにはいかないということだ。



 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。