2025年4月2日水曜日

「受け止め方の問題だ」とはまったく思わずに、自分の感情がしょうじるままに、受け止めているのである

自分のなかのやりたいことを、他人のことを考えずにやってしまう人は、迷惑行為をやりやすい人なのである。家族が、自分のなかのやりたいことを、他人のことを考えずにやってしまう人だと、いやなことが発生しやすいのである。


順番ということを考えた場合、実際に、きちがい的な親が、正常な親がやらないような迷惑行為をするということが、始まりなのである。これが一番目に起こることだ。

そして、これは、やられたほうの受け止め方の問題ではなくて、やっているほうの、行為の問題なのだ。まわりの他人がこまる行為をするけど、他人がどれだけなにを言っても、迷惑行為だと認めない性格傾向が問題なのだ。

本人が、迷惑行為をやっているということを感じなければ、本人のなかでは、迷惑行為なんてやっていないということになるので、迷惑行為をやめないのである。本人にとっては迷惑行為ではないのだから、やめる必要がない。

やられたほうの受け止め方の問題ではなくて、やっているほうの迷惑行為をやっているという認識のなかさが問題なのだ。ようするに、やられたほうの問題ではなくて、やるほうの問題なのである。

これにも、受け止め方の相対主義という問題がある。精神世界の人たちが言うことには、いっぱい、罠が仕掛けられている。これらの複数の罠は、かならず、やられたほうが悪く言われるようになる複数の罠なのだ。

けど、まあ、受け止め方の相対主義という問題について語るのはやめよう。

とりあえず、ほとんどの人が不愉快だと感じるネガティブな行為を、きちがい的な家族が、実際にしたということにしておく。いちおう、ネガティブな行為を実際にやったということにしておく。つまり、固定しておく。

やはり、避けては通れない問題なので、ほんのちょっとだけ、受け止め方の相対主義について語っておく。ほんとうは、この問題に関しては、だいぶ前に書いた記憶がある。だから、ほんのちょっとだけ、書いておく。

悪い行為などは存在せず、すべては、中立的な行為なので、中立的に受け止めることが可能だというよう妄想的な理論は、人を傷つける。

精神世界の人は、「すべては受け止め方の問題だ」などと、わかったようなことを言い、きちがい的な人間に「やられたほうの人間」をせめるのである。

そして、「やられた人の性格がネガティブだからそういうふうにされる」と決めつけて、悪口を言い出すのである。

精神世界の人が、どれだけ、普段、「(出来事を)中立的に受け止めているか」というと、中立的には受け止めてないのである。

生活のなかでは、「受け止め方の問題だ」とは思わず、固定された受け止め方をするのである。まず、そういう固定された受け止め方が、それまでのメタ認知と価値観によって、しょうじるということだ。これがわかってないのである。

これは、精神世界の人が、普段は、言霊の力を使わずに……つまり、言霊の力を使えずに、現実問題に現実的に対処しているということに、まったく気がつかないのとおなじだ。

じつは、精神世界の人も固定された受け止め方を、しているのに、それに気がつかないのである。

そして、言葉を語るときだけ、「受け止め方の相対主義」を口にするのである。ようするに、「すべては、受け止め方の問題だ」と言いやがるのである。この、癖は、どうにかしたほうがいいぞ。

本人が気がついていないだけで、普段は、中立的に受け止めていないのである。それまでの価値観にしたがって、出来事を受け止めているのである。

例にあがるのは、話のなかで、「そう思いやすい出来事だけ」であり、普段は、なにも気にせず、普通に固定されたやりかたで、出来事を受け止めているのである。

つまり、「受け止め方の問題だ」とはまったく思わずに、自分の感情がしょうじるままに、受け止めているのである。

自分の感情は、たしかに、価値観や、メタ認知の影響をうけるのだけど、価値観やメタ認知を相対化すれば、それで、出来事をまったくちがうかたちで受け止めることができるかというと、そうではないのだ。

まったくちがうかたちで受け止めた場合にも……その場合は、新しい価値観が生じているのである。そして、新しい価値観をささえるメタ認知が生じているのである。新しい価値観も中立的な価値観ではないのである。メタ認知は、メタ認知として自然に発生しているのだけど、発生した時点ですでに、中立的ではないのである。

発生したときになんらかの意味が「付与」されてしまっている。だから、まったく中立的なメタ認知なんてものはないと考えるべきなのだ。

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。