俺は、当時、親父が「かかなしご」だったことが、かわいそうだったんだよ。(俺がきちがい親父から)虐待されていたのに、きちがい親父がかわいそうだと思っていた。
「よそのうち」で、一歳のときから虐待され続けたきちがい親父が、かわいそうだと思っている部分があった。
だから、親父とおかあさんと兄貴と俺であるときは、「(自分は)おかあさんから離れて歩いたほうがいいかな」などと思っていたのだ。
まあ、六歳ぐらいのときだ。
「六歳の子供に気を使わせてどうするんだよ」といまなら思うけど、「かかなしご」の親父が、ぼくをせめているような感じがしたのだ。「かかなしご」というのは、「母親なしご」のことだ。
ともかく、ちいさいころの親父には、母親がいなかったわけだよ。そして、ぼくのところには、母親がいる。だから、親父に気を使って、おかあさんとは、ちょっと離れて歩くようにしていたときがある。
まあ、家族で出かけるときというのは、非常に限られている。正月のあいさつのために、親戚のうちに行くようなときしか、家族で出かけるということはなかった。
きちがい親父は、あんまり家にいなかったわけだけど、家にいるときは、家にいるあいだじゅう、妻と子供に、あたりちらしていた。
ともかく、へんな理由で怒り狂うのである。つったらつったら、怒り狂う。
ひとつの理由で、怒り狂ったら、〇・一秒後には、別の理由で怒り狂っているような状態だ。そして、それが、きちがい親父にとって当たり前のことだった。そして、「やったってやってない」つもりのことだった。
このきちがい親父のきちがい的な態度というのは、きちがい兄貴のヘビメタに対する態度とおなじなんだよ。ちょっとでも「おさえられたら」発狂してやるくせに、やり終わったら、まったくやってないと思っているような状態になってしまう。
「やったってやってない」の境地なんだよ。
狂気の境地なんだよ。
認知・認識がおかしいんだよ。
けど、日常茶飯事だ。
そうじゃないときがないという状態で、きちがい親父ときちがい兄貴はそうなっている。自分がきちがい的な意地でやっていることなのに、「つもりがない」なんておかしいだろ。
けど、そうなんだよ。
だから、「やった」とせめられたら、真っ赤な顔をして、怒り狂うんだよ。その場合、親父は、否定語を絶叫するバージョンと、沈黙バージョンがあるのだけど、兄貴は沈黙バージョンだけだ。これ、頭の中で起こっていることは、否定語を絶叫するバージンも沈黙バージョンもおなじなのである。そういうレベルで、自分がやったことを認めない。
きちがい兄貴は、自分が(きちがい兄貴が)一秒もゆずらずに、全部自分が思った通りの音で鳴らしきるということにこだわっているんだよ。
だから、きちがい兄貴が満足しない音で鳴らすということはないんだよ。きちがい兄貴が最大限にゆずった音も、きちがい兄貴が満足できる音なんだよ。
だから、きちがい兄貴が最大限にゆずった音も、実は、きちがい兄貴の耳がおかしくなるぐらいの大音響だ。
けど、これが、また、きちがい親父とおなじで、「自分がゆずってやったら、全部ゆずってやった」と思っているところがある。
嘘なんだよ。ぜんぜんゆずってないのに、「ゆずってやった。ゆずってやった」と思っている。思っているだけ。きちがい兄貴がゆずったつもりで鳴らしている時間、こっちは、最大の音で鳴らされているときとおなじように、こまっているんだよ。
けど、きちがい兄貴は、きちがい親父とおなじだから、「相手がこまっている」ということは、きちがい的なレベルで認めない。きちがい的なレベルでわからない。
これ、まさしく、わからないのだ。
だから、どれだけ注意したっておなじなんだよ。
けど、そういうしくみが、また、よその人にはわからないから、よその人は「そんな音で鳴っているはずがない」と思ってしまうわけ。
そうなると、兄貴のほうがゆがんでいるのに、俺が嘘を言うゆがんだ性格の人間だと、その人たちは思うわけ。
もう、全部、こういうふうにできあがっているんだよ。
俺が嘘を言っていると思っている人たち態度というのは、ひどい……。ひどいものだ。俺が嘘だと知っていて、嘘を言っていると「思う」場合は、俺は(その人にとって)人格障害者になってしまうし、嘘を言っているのに嘘を言っているということに(俺が)気がついてないと、その人が思う場合は、俺が妄想系の精神病だと思うことになる。
こいつらは、まちがっているけど、こいつらはこいつらで、「そんな音で鳴らせるわけがない」「そんな音で鳴らしているのに、家族が注意しないのはおかしい」と思っているので、俺が説明しても、受け付けない状態?になっている。
俺の説明を受け入れない状態になっている。
けっきょく、徒党を組んで、俺からは見えないところで、俺の悪口を言うのだ。
まあ、どうして、徒党を組んで、俺から見えないところで悪口を言っているのに、俺が知っているかというと、教えてくれる人がいるから、知っている。「あの人たちが(エイリさんのことを)どう思っているのか」ということについて、教えてくれる人が、少数だけどいる。その教えてくれる人と、その人たちのやり取りで、その人たちが、どういうふうに(俺のことを)思っているのか、わかる。
きちがい兄貴の感覚やきちがい親父の感覚がおかしいから、俺がいろいろとうたがわれることになるのだ。
そして、きちがい親父がやったことはともかくとして、きちがい兄貴がやったことは、俺の能力や俺の体調にものすごい、影響をあたえるのである。
けど、これも、「自分なら平気だ」と思うやつが「過去は関係がない」とか「ヘビメタ騒音なんて、そんなのは関係がない」とかと言いやがるんだよ。
* * *
「そんなに、(お兄さんが子どものころ)怒り狂っていたのに、どうして、お兄さんのことを注意しないんだ? おかしいじゃないか」と言って、ぼくの話を信じなかった人もいる。
「そんなのはへんだ」と思って信じないやつがいるんだよなぁ。
こいつらのなかでは、俺が、嘘を言う人だということになっている。あるいは、こいつらのなかでは、嘘をついているつもりがなく、本気で言っているなら、(俺が)妄想的な人だということになっている。
けど、これがちがうんだなぁ。
親父が、規格外で、ほかの人のうちには、いない人だと、「そんな人、いない」とほかの人は思ってしまうところがある。
だいたい、約四割だな。
きちがい兄貴がやったことも、信じないのだ。俺が、大げさに言っていると思っている人がいるんだよなぁ。その人たちから見れば、異常なのは、兄貴ではなくて、俺なのだ。
そのひとたちのなかで、俺は、悪い意味で、嘘をつくような人だということになってしまう。
これ、一度そういうふうに思うと、俺の言動について、いちいち、まちがった解釈をしやがるのである。こいつらが、考えちがいをしているんだよ。
そして、それは、たとえば、きちがい兄貴のような家族に毎日騒音を鳴らされなかったということを意味しているんだよ。
だから、そいつらが「俺だって騒音ぐらいあった」と言っても、それは、レベルがちがう騒音について言っているだけなんだよ。
そいつらが「自分だって苦労した」と言ったって、俺の苦労について「誤解できるようなレベルの苦労」しかしてないんだよ。
俺の言っていることが、「嘘」だと思うなら、それは、現実世界で、俺とおなじようなことを「経験」してないということを意味しているんだよ。
ちがうじゃないか。ところが、「おなじレベルの苦労をした」と思っているんだよ! こいつらは!! こいつらは、無能でバカなうえに、経験がないので、考えちがいをしている。考えちがいをしているのは、こいつらなんだよ。俺は、嘘をついてないんだよ!!