できているのに、ある日、突然……なんの理由もなく……「できない」と言って、それ以降できなくなったわけじゃないのである。
「できないと言う『から』できない」なんて、おかしいだろ。
できなくなったあと、……ヘビメタ騒音でできない状態を経験して、ヘビメタ騒音が鳴っているとできないということがわかったので「できない」と言った。「できない」と言った「から」できなくなったわけじゃないのである。
ヘビメタ騒音がものすごい音で鳴っていた「から」できなくなったのである。
「できないと言うからできない」なんておかしいだろ。
できないことを、「できない」と言っているだけだろ。バカ野郎。そういう妄想的なことを断定的に言って、人をこまらせるのは、やめろ。
できるのに、どうして、突然「できない」と言うのか? 認知・認識はどうなる?
できないことは、できないと言うだろ。「できない状態」というのは、「できない」と言う前に発生していたんだよ。順番をまちがえるな!!
できている状態で、できるという認識があるのに、突然、「できない」と言って、「できない」と言ったから、「できなくなった」ということではないんだよ。
認識のほうが、さきなんだよ。
順番をひっくり返して、わかったようなことを言うのは、やめろ。
自己催眠や自己暗示はあるけど、それは、「そういう自己暗示をしよう」と思って、自己暗示をしたのである。そして、すべての現象において、自己催眠や自己暗示の効果が成り立っているわけではないのである。
できることはできるんだよ。できないことはできないんだよ。その認知が、さきである場合のほうがおおいいんだよ。
これも、「自己暗示には効果がある」ということが、すべての「できる・できない問題」に成り立っているという考え方がまちがっているのである。こういう人たちは、単純だから「自己暗示」の例をひとつ、あげられると、すべて、その例の通りだと思ってしまう。
「できる」と自己暗示をかければ、できるようになるし、「できない」と自己暗示をかければ、できないようになる……と思い込んでしまう。
けど、それでは、「できる・できない」ということに関する「すべての現象」を説明できない。
「できないと言うからできない」というのは、理論的ではない考え方なんだよ。理由が、まちがっているんだよ。
「から」のまえにある「できないと言う」ということが、「できない」ことの(あるいは、できないという状態の)原因ではないんだよ。原因について、まちがった認識をしているんだよ。
自己暗示の例をあげられてから、「できると言えばできる」と思い込んでしまうわけだけど、本人が、「できる」と言ったって、できないことはあるんだよ。
だから、「できると言えばできる」のかどうか、自分で確かめてみることができるんだよ。
「瞬間移動できる」と言ったあと、瞬間移動できるようになるかどうか確かめてみれば、「できると言えばできる」という命題が『真』であるのか『偽』であるのか、確かめることができるんだよ。
瞬間移動ではなくても、普段、自分ができないことは、できないと認識しているのである。そして、できないことに関して、「できる」と言っても、できないことを知っているのである。……実は知っている。
だいたい、「できる」と言っただけで「できる」ようになるのであれば、その人は、普通に生活してない。魔法を使って生活している。いろいろなことを普通の方法でやっているということは、「できない」ということを認めていることなのである。いいかげん、気がつけ。
できないと言っても、できることはあるし、できると言ってもできないことがある。それは、「できると言えばできる」「できないと言うからできない」などと「ほかの人」に言っている「本人」だって、知っていることなんだよ。経験していることなんだよ。経験したことがあることなんだよ。
ところが、「自己暗示」の説明を聞くと、「すべて」において「できると言えばできる」ということが成り立つと思ってしまう。だまされたんだよ。
「できると言えばできる」と言っている人は、「エイリさんの言っていることが理解できる」と言って、理解してくれ。理解できると言えば、理解できるんだろ。