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俺がほかの人から、なめられるように、なめられるように、 きちがい兄貴が、きちがい的な音量できちがいヘビメタを鳴らすのである。
きちがい的な感覚で鳴らすのである。しかも、きちが的な感覚で鳴らしてないことにしてしまうのである。
俺が、何万回、ヘビメタのことで文句を言っても、きちがい兄貴は、きちがい的な感覚で、「一回も文句を言われたことがない」と思っているのである。
しかも、「一回も文句を言われたことがないと思っている」ことについて、無自覚なのである。
こんな、しくみが成り立っているやつが、普通の人に理解されるはずがない。
だから、普通の人は、俺の兄貴が普通の人だと思って……普通の人だと想定して、さまざまな助言をすることになるのだけど、その助言がすべてまちがっているのだ。
けど、普通の人たちは普通の人たちで、自分の助言がまちがっているとは思わないのである。自分の助言の前提に、まちがった部分があるということは、これまた、俺の説明を聞いても、認めないのである。
さらに、そいつらのうち、一部の人は、腹をたてるのである。俺の説明を聞いて、腹をたてるのである。こんなの、やってられるか。
実際に、きちがいヘビメタを鳴らされることで、俺の記憶力が落ち、俺の注意力が落ち、俺の持続力が落ちるのである。
けど、それも、事情を知らない人たちから見れば、俺の初期値(通常の値だ)と見えるのである。これが、くるしかった。これが、くるしかった。
やられてない人はわからないけど、あの態度で、ほんとうに鳴らされると……勉強することができないのである。しかも、鳴っているなかで、勉強しようとすると、学校で覚えたことも、すっとんでしまうのである。
記憶として定着していたことが、ふっとんでしまうのである。
そして、思考が必要なものに関しては、おぼつかなくなってしまうのである。この、きちがいヘビメタ騒音中の、勉強をしようという試みは、成功したことがない。
それだって、普通のやつらは、やられたことがないから、わからないのである。「どれだけヘビメタが鳴ってたって、勉強ぐらいできる」と思って、できないことを言ってくる。
これ、ほんとうは、きちがい家族に、日常的に、ずっと、俺とおなじことをやられたらできくなるのだ。それが、やられてないから、わからないだけだ。
鳴っているあいだだけではなくて、ほかの時間も……睡眠をとおして、俺の記憶力や注意力に、きちがいヘビメタ騒音が影響をあたえるのである。鳴っているあいだだけではなくて、睡眠をとおして、俺の生活体力に、きちがいヘビメタ騒音が影響をあたえるのである。
ようするに、猛烈につかれた状態で、がんばって、生活している状態になる。
これだって、注意不足や疲労で意識水準がさがるときがあるから、トラブルのもとなのである。
しかも、精神世界の人じゃなくても、言霊思考や思霊思考の影響をうけているので、言ってくることが、言霊思考や思霊思考の影響をうけたものになるのである。それも、トラブルの原因になる。
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きちがい家族が、自分がこの世で一番嫌いな音を、四六時中、ずっと鳴らしていたら、そんなことが成り立つわけがないという状態になる。言霊思考や思霊志向というのは、人間の思考に根本的に内在するものなのである。
だれだって、幼児的万能感はもっているのだ。程度の差こそあれ、大人になっても、もっているんだよ。当然、思春期でも、もっているんだよ。幼児的万能感は、幼児期が過ぎれば、消失してしまうようなものではないのである。考え方のコアとして、生きているのである。生き残っているのである。
そうなると、きちがいヘビメタ騒音に、毎日四六時中、やられた俺は、とても、不愉快な思いをすることになるのである。ほんとうに、できないからだ。
ほんとうに、「そんな状態じゃない」のである。
けど、これだって、普通のやつらにはわからない。理論的なことですら、幼児的万能感に邪魔されて、理解することができないのである。
幼児的万能感が生き残っているために、「言ったことが現実化する」「言えば、言った通りになる」「思いは現実化する」「明るいことを思えば、明るいことが起こり、暗いことを思えば、暗いことが起こる」という思考をすてることができないのである。
こいつらにとっては、すてる必要性もないのである。
だから、自動的に、言霊思考や思霊思考をしてしまうのである。
そうなると、ヘビメタ騒音でこまっている俺に対して、因果関係の順序を逆にしたことを言ってくるのである。
これも、きちがい兄貴が、きちがい的な感覚で、きちがい的な態度で、自分が出したい音に、こだわってこだわって、どんな時間も、きちがい的な音で鳴らすということをしなければ、そんなことになってなかったのである。
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普通は、ちゃんと推論できることが、テストなど、緊張する場面だと、ヘビメタ騒音時間の緊張が復活して、ちゃんと推論することができなくなってしまうのである。これも、きつかった。