ぼくはもう関係ないけど、動画を見たときに感じたことを言っておく。問題は、「無職」「ニート」「ひきこもり」というレッテルに関することだ。「無職」といっても、みんな、おなじ無職じゃないのである。人により条件がちがう。人により、事情がちがう。だから、みんな、ちがうのである。おなじじゃない。ところが、「無職」というレッテルをはって、人を判断する人は、「無職」というレッテルをはったら、「無職」という「自分のなかの無職のイメージにそって」人を判断するのである。しかも、自分が定年退職で無職だとしても、そういう判断のしかたが、おなじなのである。自分だけ例外なのである。ほかのやつらのことは「無職」でひとくくりなのである。そして、自分だって無職なのに、自分は働いてきたから無職でもいいという個人的な理由で、ほかの無職を、断罪するのである。悪口を言って、いい気になる。自分だって、ほかのやつらか見れば「無職」とカテゴライズされる立場の人間だということがわかってない。自分のことだけは、例外で、ほかの人間には「無職」というレッテルをはって判断するのだ。「自分は働いてきたから、今は働かなくてもいい」というのは、そいつの価値感なんだよ。そいつの判断基準なんだよ。だから、「自分は働いてきたから、今は働かなくてもいい」という判断基準をもたない人間であり、なおかつ、無職に偏見がある人間にとっては、そいつも、ほかの無職と変わらない無職なんだよ。
ニートについても、おなじだ。ひとくちに、ニートといっても、いろいろな事情をかかえているやつらがいるんだよ。だから、人それぞれに、ちがう事情をかかえているんだよ。だから、ニートと簡単にカテゴライズできるのではない。ニートの性格はなんだとかかんだとか言えるものではないのだ。けど、考えが浅いので「ニートはこうだ」と言いきってしまう。そいつが単に、ニートに対して、偏見をもっているだけなのだ。人がちがえは、条件がちがう。歴史がちがうのだ。条件や歴史を考えないで、「ニート」というカテゴリーでひとくくりにくくって、それで、ニートをバカにしたようなことを言う。条件が、ひどければ、自分だって、ニートになっていたかもも知れないということを考えることができないほど、単純なのだ。
「ニートは幼稚」と言っているやつが、幼稚な人間なんだよ。ニートというカテゴリーで考えて、ひとりひとりの条件について考えないのだから、幼稚だろ。ちがうか?