きちがいヘビメタ騒音にたたられているときは、たたられているときの「気分」がある。「気分」と書いたけど、体全体の反応なのである。意識的で、意志的な脳みそが感じている部分は、一部分にすぎない。そして、ヘビメタ騒音にずっと、さらされ続けたので、副交感神経が優位にならず、疲れはてているのに、どうしても眠れないという状態も、体全体が引き起こしている状態なのである。意識的で、意志的な脳みそが、「眠れ」と命じても、その前の時間に、七時間なり、一三時間の間、自分がこの世で、一番嫌いな音に、さらされ続けたという……いまにいたる過去の状態があるのだから、いまにいたる過去の状態の影響をうけて、眠れないのである。いまにいたる過去の状態というのは、言ってみれば、走ることをやめたあとも、息があがっている状態とおなじなのである。走ることをやめたのだから、今は走ってない。いま、現在、止まっているのであれば、走ったということの影響をうけないということではないのだ。影響は受けている。さらに、こいつらは、継続が重要などということを言う。継続が重要だということは、その日、一日のなかでの過去の出来事だけではなくて、数年間という、継続的な出来事が、(現在の状態に)影響をあたえるということを、認めているのである。一日だけ、ポテチを食べただけでは、生活習慣病になれないのである。また、一回だけアルコールを、飲んだだけでは、慢性アルコール中毒にはなれないのである。アルコールの場合は、急性アルコール中毒というのがあり、時間的に近い過去の行為が影響をあたえているということができる。ようするに、「過去は関係がない」といっているやつも、実は、「昨日飲みすぎたから、体調が悪い」とか「ずっと、長時間通勤をしてきたから、たいちょうがわるい」とかと言っていることからわかるように、過去の出来事が、現在の状態に影響をあたえるということは認めているのである。ところが、弱った他人を見かけると、自分は、影響をうけないという前提で、「過去は関係がない」と言い出すやつらがいる。精神世界の人たちは、特にその傾向が強い。どうして、精神世界の人たちが、過去のことを無視することを言うかというと、「いまここ」とか「いま、現在に集中すればいい」というようなことが言われているからなのである。ところが、彼らが、そういうことを言うことに関しても、過去のある時点で、そういう考えについて述べられた本を読んだとか、そういう考えをもっている人の話を聞いたということが、重要なのである。ようするに、過去の出来事の影響をうけている。「の」の二重表現は指摘しなくてもいい。
こまっている他人を見かければ……「自分は、そのことについてはこまってない」と、横柄な気持になり、こまっている他人の状態を全否定するようなことを言うのである。こまっている他人の状態というのは、じつは、こまっている他人の条件と言い換えることもできる。体の状態だって、過去の出来事の影響をうけている。生活習慣病になった人は、過去の生活において、何回も繰り返したことの影響を、受けているのである。生活習慣病は認めるけど、「過去は関係がない」「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえない」と考えるということ自体が、おろかなことなのだ。けど、普通に、そのおろかなことをやって、本人が気つがかない。
ああ言えばこう言うタイプの人は、走ったあと、止まっていても、息があがるということについて、「そりゃ、そうだけど、それは、短い時間の話でしょ」と言うかもしれない。けど、毎日、繰り返しやってきたこと、あるいは、毎日繰り返しられたことは、影響をあたえる。あたえないと考えている場合は、影響が小さなことについて考えているのだと思う。毎日、繰り返しやってきたことが、今現在に影響をあたえないわけがないだろ。実際に、精神世界の人は、「毎日の繰り返しが重要」と言っている。さらに、言霊主義者なら「口癖が重要」と言うことになる。「毎日の口癖が人生を作る」などという。たいていの精神世界人は、「毎日の口癖が人生を作る」と言われたときは、「その通りだ」とひざを打って思うのである。ところが、「過去は関係がない」と言ってしまう。「過去は現在に影響をあたえない」と言ってしまう。矛盾していることに、気がついてない。自分にとって不都合なことは、「いまここ」と考えて否定して、自分にとって都合がいいことは「口癖が重要」と言って、完全に肯定してしまう。「自分にとって都合がいい」ということ「自分にとって都合が悪い」ということがメタ認知となって、判断に影響をあたえるのだ。ようするに、ほぼ無意識的な前提として、「自分にとって不都合かどうか」ということが、全体の認知に影響をあたえているのである。言っておくけど、「ほぼ無意識的な前提」の「無意識」というのは、強迫性障害を引き起こすような無意識とは、まったく関係がない。種類がちがう。
口癖が人生を作るのであれば、もちろん、過去において、自分が(口癖として)言ってきたことが、人生に影響をあたえるということなのである。だから、「過去は関係がない」「過去は現在に影響をあたえない」ということにはならない。ところで、口癖については、依然述べたように、これまた、問題がある考え方なのである。口癖が人生を作るのだから、口癖を無理やり変えれば、口癖通りの人生になるという考え方が横たわっているのだけど、この考え方は、完全にまちがいだ。これまた、条件を無視した考え方なのである。ずっと続いている条件というのはある。もちろん、時間がちがえば、ちがうということも言える。つまり、おなじ川にのどはいることはできないのだ。けど、生活の中で、だいたいおなじことというのはある。きちがい的な親は、頻繁にきちがい的な理由で怒り狂うのである。正常な親は、頻繁に、きちがい的な理由では、怒り狂うことがないのである。傾向というのがある。きちがい的な親がいるうちに生まれたら、きちがい的な親と一緒に住むことになるので、きちがい的な親が頻繁にすることの影響をうけることになる。けど、これだって、精神世界の人は「過去は関係がない」「過去は現在に影響をあたえない」と言って、くそくだらないアドバイスをしてしまうのだ。これは、精神世界の人本人にとって都合が悪いことではないけど、対象となる人にとって都合が悪いことだ。ともかく、精神世界の人にとっては、相手の条件は無視できることなのである。相手の条件を無視することで、本人は、こまらないのである。だから、勝手に無視するのである。
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なんで、ヘビメタ騒音の影響だけ「そんなの関係、ない」ということになってしまんだよ。負の影響をうけるに決まっているだろ。食生活だって影響をあたえる。何年間も、体に悪いものを食べていたら、影響が出るだろ。何年間も食べすぎなら、影響が出るだろ。何年間も、不適切なほど食べてなかったら、影響が出るだろ。それとおなじなんだよ。
それを、勝手に無視するな。おまえらには……その人たちには、きちがい家族がいなかった。きちがい家族が、きちがい的な意地で、ものすごくでかい音で、あなたたち?が、この世で一番きらいな音を、ずっと毎日、鳴らさなかった。だから、きちがい家族による騒音の影響がないだけだろ。これは、うけたけど、影響がないのとはちがうんだよ。うけてないから、影響がないだけだ。実際に、自分のきらいな音が、でかい音でずっと何時間も鳴っている毎日が、何年間も十数年間も続かなかったから、影響をうけてないだけだ。実際に、おなじことをされたのに、影響をけてないわけではない。ところが、「自分だって騒音ぐらいあった」と言えば、騒音の質と騒音のでかさと、騒音の持続時間と、騒音の持続期間を、無視できる。無視してもいいという気持になってしまう。おなじ質の、おなじ量の騒音をにさらされたわけではないのに、「そんなの関係がない」「俺だって騒音ぐらいあった」と言う。「受け止め方の問題だ」とあたかも、俺に非があるような言い方をする。きちがい兄貴に非があるのに、俺に非があるような言い方をする。しかも、そういうことをしておいて、いい助言をしたつもりなのである。こいつら、ほんとうにゆるせない。こういうことになるから、きちがい兄貴に、何度も何度も、何万回も何毎回も、ずっとずっと、「鳴らさないでくれ」「しずかにしてくれ」「こまるからやめてくれ」と言ってきたのに、きちがいがきちがい感覚で乗り越えて、きちがいが好きなように行動してしまう。きちがい家族と一緒にすんだことがない人は、実際に、きちがい家族がどういう感覚で鳴らしているかわからないから、俺の話に疑問をもつ。それが、また、「たいした音じゃないのだろう」とか「ほんとうは鳴ってなかったんじゃないか」というような思いに影響をあたえる。きちがい兄貴のきちがい感覚が、出所なんだよ。俺のほうの問題じゃないんだよ。ところが、こいつらは、みんな、よってたかって、俺のせいにする。