2025年2月18日火曜日

「引き寄せ」という考え方をはやらせるために、嘘を言うことを考えてみよう(2)

 
今回、言いたいことは、「条件に目を向けさせたくない勢力がある」ということだ。その勢力が「引き寄せ」という考え方をはやらすと、実際に、人々が引き寄せ思考をして条件に目を向けなくなるということだ。

やり方としては、人を雇って、嘘話の動画を作ればよいのである。そして、人を雇って、サクラを配置すればよいのである。

サクラというのは、「動画の主が言ったように、リアルに思い浮かべたら、引き寄せることができた」という内容のコメントを書く人たちのことだ。

サクラの人たちが、ほんとうにこういうことがあったということを書くと、サクラではない人も、こういうことがあったということを書きやすくなるのである。

さくらではない人が信じていることも、ほんとうは、事実ではない。ここには、確率詐欺があるんだよ。 

たとえば、母親がミカンを送ってくれる確率と、母親が一億円を送ってくれる確率を比べた場合、母親がミカンを送ってくれる確率のほうが高い。日常生活の中で、わりと頻繁にあることは、考えたあと、わりと頻繁に発生する。

あたりまえのことだけど、そうだ。けど、日常生活の中で、めったにないことは、考えたあとも、めったに発生しない。

ミカンの場合だと、ミカンに意識がフォーカスされた場合、ミカンが送ってこられることがある。これは、確率の問題だ。

はっきり言えば、ミカンがほしいなら、ミカンを本人が買えばいいだけの話なのである。

けど、本人は買わなかったけど、だれかが送ってきたということが、「引き寄せの話」として重要なのだ。

あたりまえだと思っていることに関しては、引き寄せたとは感じないのである。

たとえば、スーパーに行って、おカネで、ミカンを買った場合は、「ミカンを引き寄せることができた」とあんまり感じないようになっているのである。

なにか、偶然に、手に入れたというようなストーリが必要なのだ。

けど、店でミカンを買う場合だって、ミカンの供給が限られれば、普段はないミカンが、自分が行ったときだけあったということに、偶然の出会いを感じるようにできているのである。人間は、そういうところがある。

いまは、普通に売っているミカンが、手に入りにくいものになったとする。

その場合、たまたま、店に入って、たまたまミカンを見つけたといういうことが、引き寄せストーリーになるのである。

ようするに、偶然性がないものに関しては、引き寄せだとは思わないのである。そして、偶然性がないものというのは、たいてい、条件によって決まっているのである。偶然性がないものと書いたけど、本当は、偶然性は、わずかにある。

あたりまえだと思っているから、偶然性がないと認識しているだけなのだ。

そりゃ、今自分が生きていることだって、よくいく店の棚にミカンがあることだって、偶然性は成り立っている。

ともかく、思い浮かべる以外、それを手に入れる努力をしなかった……行動をしなかったということが、引き寄せストーリの「かなめ」なのである。

「思っていただけで」……「偶然、手に入れることができた」……「だから、引き寄せの法則は成り立っている」……と思うことができる。

「思っていただけで」……「偶然、手に入れることができた」……だから、引き寄せはある」……と確信することができる。

まあ、勘違いの確信なんだけど。確信した人は、確信してしまうわけ。

だから、サクラではなくても、確率が高いものに関しては、「思っていただけで、ほんとうに引き寄せることができた」ということを書く人がいるわけ。

「サクラ」と「確率の低いことを偶然に引き寄せることができた」と感じる人がいると、「引き寄せ」が正しい考えであるように思えるのである。

あくまで、そう思ってしまうだけなのだけど……。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。