そりゃ、前の日、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も、きちがいヘビメタ騒音にやられて、ほとんど眠れないまま、次の日になれば、憂鬱になるでしょ。無理して、動いていたんだよ。何千日も。
みんな、きちがい家族がいないから、ほんとうは、きちがい家族がやる騒音なんて経験してない。みんな、俺だってくるしかった」と言うけど、ヘビメタ騒音と同等のくるしさが、同等の期間の長さ、続いたわけじゃない。けど、「俺だってくるしかった」と言えば、同等のくるしさが、同等の期間の長さ続いたということになってしまうのだ。
憂鬱になるだろ。きちがいヘビメタで、身体がこわれているのである。憂鬱になるだろ。「元気だ元気だと言えば元気になる」……そんなことを言ってられる状態じゃないんだよ。
俺が、こういう期間の長さ、こういう音のでかさで鳴っていたと言ったら、実際そういう期間の長さ、そう言う音で鳴ってたんだよ。勝手に、うたがって、勝手に俺を嘘つきにしたてあげて、勝手に俺を、なんらかの人格的な障害者だと思って、勝手に、悪口を言いやがって。
「過去は関係がない」と言うやつや、「影響なんてない」と言うやつや、「そんなのは関係がない」と言うやつや、「そんなのはへんだ」と言うやつばかりだったよ。まあ、最後の「そんなのはへんだ」というのは、「そんなのへんだから、鳴ってなかったんじゃないか」と思っているんだよ。鳴っていたのだから、こんな勘違い、侮辱だ。
ともかく、ほんとうに、どれだけ元気を出そうとしても、実際のヘビメタ騒音で、体の状態として、へんな状態になるのに、それがまったくわかってない。わかってないやつが「自分だって苦労した」「自分だって困難があった」と言って、同質化・同量化してしまう。『影響』を無視している時点で、同質の、同量の苦労なんてしてないよ。もし、同質の、同量の苦労をしていたら、ぼくが言っていることがわかる。体でわかる。どうしても、そうなるということが、わかる。「過去は関係がない」「影響なんてない」「そんなのは関係がない」「そんなのはへんだ」と言うわけがないだろ。
たとえば、ヘビメタ騒音でどうしても憂鬱になると言った場合の憂鬱というのは、感情だけのものじゃない。精神だけのものじゃない。「どうしようもない状態」がある。「どうしようもないからだの状態」がある。
わかってないだけじゃないか。そういう状態があるということがわかってないだけじゃないか。
だから、 「過去は関係がない」「影響なんてない」「そんなのは関係がない」と言って、さらに、「元気だ元気だと言えば元気になる」と無理解ぶりを発揮した、妄想発言をするのではないか。
いま、午前八時三八分なんだけど、この朝の雰囲気は、悪い意味で、なんとも言えない者がある。朝の雰囲気は、ほんとうに、きちがいヘビメタにやられていたのに、無理やり体を動かしているときの雰囲気だ。まあ、ありていな表現を使うと「憂鬱だ」とか「つかれた」ということになる。けど、それだけじゃないんだよね。どんだけ、繰り返したか?
あの繰り返しがない人間が……あの繰り返しを経験してない人間が……わかったようなことを言うな。「過去は関係がない」「影響なんてない」「そんなのは関係がない」と言うな。わかってないから、「過去は関係がない」「影響なんてない」「そんなのは関係がない」と言えるんだよ。