2025年2月23日日曜日

ヘビメタ騒音なしで、ぼくの才能を発揮できるところで、働きたかったなぁ

 ヘビメタ騒音なしで、ぼくの才能を発揮できるところで、働きたかったなぁ。

それなら、ぼくは、働き者なんだけどなぁ。

ヘビメタ騒音に汚染された体(からだ)で、動くこと自体が、くるしくてくるしくて、くるしくて、くるしいことだ。

そのほかにも、実際にやられないとわからないことが、いっぱい、いっぱい、いっぱい、ある。

みんな、やられてないから、軽く考えて「こうすればいい」「ああすればいい」と言う。自分だったら影響をうけないという前提で「過去は現在に影響しない」とか「ヘビメタ騒音なんて、そんなのは、関係ない」と言う。

いやーー。実際にやられたら、ちがうんだよ。

毎日続いたら、ちがう。

どれだけがんばっても、毎日続いたらダメだ。影響をゼロにすることなんてできない。

あんだけ、きちがい的な音で、やられているのに、やられてないのとおなじ状態で暮らすなんてことは、できない。

ぼくだけではなくて、ヘビメタがきらいな人は、みんなそうだ。そして、ヘビメタが好きな人だって、別の音でやられたら、おなじ状態になる。

*     *     *

きちがい兄貴も、きちがい親父も、自分(たち)の行為が相手に与える影響なんていうのは、考えない。言われないからわからないのではなくて、言われたってわからない。

何万回、何十万回言われたって、わからない。これ、ほんとうに、頭がおかしいからそうなってるんだよな。自分にとって不都合なことは、絶対に認めないのである。

これ、じつは、重度の認知症より、ひどい症状なのだ。

けど、「よそ」だと、おさえつけられるから、ある程度、無意識的にがまんするところがある。だから、ある程度がまんしている状態を知っている人は、「そんなわけがない」と思うわけ。

けど、場所場所で……おさえつけられる状態であっても、頑固に意地をはるところがあるんだよ。これ、本人は、嘘をついているつもりがないから、きらわれるわけだけどね……。

きらわれたって、そんなの気にしないよ。だって、きらわれたことに、まったく気がつかないもん。

ともかく、無意識的な命令で、認めないことは、絶対に認めないのだ。認めないことに命がかかっている状態で、認めない。けど、やりたいことはやってしまう。

だから、きちがい的な意地でやったことを、きちがい的な意地で認めないということになる。

これは、ほんとうに、やったつもりがなくて、やったことを知らない状態なのである。重度の認知症より、ひどい状態なのである。本人は、自分の都合を(本人の感覚としてはのーだーじで)押し通すことができるので、なんともないことなのだけど、「まわりいる人」にとっては、ものすごくこまることなのである。重度の認知症患者を家族として抱えている人よりも、こういうタイプのほうが、こまるのである。

ともかく、無意識的に、感覚器を書き換えて、やったってやってない状態にしてしまう。

でかい音で鳴らしたって、でかい音で鳴らしてないと、つねに、頑固に、認識しているのだ。くさいにおいをだしたって、くさいにおいをだしてないと、つねに、頑固に、認識している。

これ、においはわかるけど、わからないふりをしているのとは、ちがうのだ。そのときだけ、においに鈍感になる。無感覚になる。

においのことは、親父の話だけど、兄貴の場合は、音でそうなる。

きちがい的にでかい音で鳴らしているのに……そして、聴力は正常だから(だったから)でかい音で鳴らしているということが、普通の状態なら、わかるはずなのに、わからないのだ。

自分が鳴らしたい音だと、ごく自然に無意識的な妨害がはいって、でかい音で鳴らしているということ自体が、わからないということになる。「うち」では、つねにそうなんだよ。「よそ」だと、どうだか知らないけど、「うち」だと、つねにそうなんだよ。

もし、自分が、でかい音で鳴らしているということを認めてしまったら、それ以降、(ほんとうに鳴らしたい)でかい音で鳴らせなくなってしまう。常識的な範囲で、音を落とさなければならなくなる。

それは、命にかけて、死んでも、いやなのである。

だから、聴覚のほうを無意識的にだます。

これ、だまそうと、意識的に思ってやっているのとはちがうのだ。

*     *     *

ともかく、話の通じなさがおなじなんだよ。親父と兄貴でおなじだ。親父は、当時、高校生になった兄貴のことがこわくて、注意できなくなっていたのだ。これも、親父は、(自分では)意識してないことだ。

だから、めちゃくちゃな理由をつけて、絶対の意地で注意しないのである。

けど、十数年たって、「注意しなかった」ということを認めるのが、いやな状態になると、「注意した!!注意した!!注意した!!」とわめきはじめる。

これも、全部、おなじなんだよ。当時から、おなじしくみが、脳みそのなかに成り立っている。

この、やらなかったのに、やったと言い張るのは、やらなかったのに、やったと言いはるのとおなじなんだよ。そのとき、不都合なことは、口先の嘘で、認めないようにする。

口先のうそと書いたけど、普通なら、口先の嘘だと認識できることなのに、きちがいだから、(自分がやっていることなのに)口先の嘘だと認識できないんだよ。言っているあいだは、ほんとうにそう思っている。

これが、こまるんだよ。

この「嘘つき構造」は、親父にも成り立っているし、兄貴にも成り立っている。だから、そういう「嘘つき構造」をとおして、自分がやりたいことを押し通してしまう。

そして、こんなのは、普通の家ではありえないことなので……普通の家では、こんなことをする人間がいないので、ぼくが嘘を言っているということになってしまう。よその人の認知が、これまた、現実的な認知じゃないのである。

ぼく、認知が現実的な認知なんだよ。

よその人は、そんな人と一緒に住んでいるわけではないので、ぼくの言っていることがわからない。「そんなのは、嘘だ」と思うわけだ。

「そんな音で、長男が鳴らしているのに、無視して注意しないなんてことはありえない。(だから、エイリさんが嘘を言っている)」と思うのだ。

こういう誤解が、幾重にも積み重なっている。

普通の人は、ごく普通に、誤解をする。「うち」のことを誤解する。「うち」の真実を誤解する。「うち」の現実を誤解する。

みんな、自分のことではないので、そもそも、あんまり関心がないことなのだけど、自分の常識とは、相反することなので「不愉快」なのである。認知的不協和がしょうじるのである。

「家族というものはこういうものだ」「人間というものはこういうものだ」と思って自我が安定しているのに、それを打ち壊す、情報が(ぼくから)送り込まれるのである。それは、自我を不安定にするものなのだ。

だから、「不愉快さ」を感じる。

「そんなこと、あるわけないだろ」とおこったように言うやつがいるけど、ほんとうにおこっているのだ。

家族が気ちがいだと、家族が普通人のやつからか、おこられるのだ。まったく、わりにあわない。こんなのは、ない。「うちの現実」について、ほんとうの話をしたのに、よそのやつが常識的に判断して「そんなのは嘘だ」と言ってくるのである。この場合、まちがっているのは、「よそ」の人たちなんだよ。「うちの現実」について「よそ」の人がまちがった判断をする。これがデフォルトだ。ほんとうにやってられない。

そして、よその人は、実際にこういうタイプからやられたことがないので、やられたことの「総重量」について、誤解をしているのだ。これもわかってない。

だから、「俺だって苦労した」と言えば、きちがい家族と一緒に住んでいるわけではない人が、きちがい家族からもたらせられる……つまり、きちがい家族がもたらす……苦労を経験したということになってしまう。

「経験したからそんなのは、知っているけど、そんなのは、関係がない」……という文脈で「関係がない」と言ってしまうことになる。ほんとうに、迷惑な話だ。 

ほんとうに「総重量」がちがうのである。苦労の質がちがうし、きちがい家族がもたらす、きちがい的な困難の数がちがうのである。数というのは、発生回数だ。おなじであるはずがないだろ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。