きちがい兄貴が、あんなに意地になって、きちがいヘビメタを鳴らさなかったら、こんなことになってない。あの人たちとの人間関係だって、こわれていない。そもそも、働いていたはずだから、無職についてもめるはずがない。これ、「どうしたってむりだ」という状態になる。きちがいヘビメタが一一歳のときからはじまって、ずっと、中学校、高校と、日曜日まで含めて毎日続けば、どうしたって、むりだという状態になる。けど、実際には、ほかの人には、きちがい兄貴のような家族がいないから、おなじことを経験するわけではない。だから、経験的には、わからない。俺がただ言っているだけで、実際に、僕と同じ時期に、僕と同等の、家族による騒音を経験したわけではない。家族による騒音というのが、超・重要なことなのだけど、ほかの人は、これが重要なことだとは思ってない。さらに、一一歳からはじまってしまったということも、重要なことなのだけど、ほかの人は、これも、重要なことだと思っていない。働いてから、となりの人がうるさいという状態ではないのだ。自分だけ引っ越しができる状態ではない。きちがい家族が鳴らしていたら、どうしたって、影響をうける。自分だけ引っ越して、騒音問題を解決するわけにはいかない。そして、おかあさんも、親父とはちがった意味で普通の人ではないし、おかあさんが、どれだけ兄貴に言っても、兄貴は、聞かなかった。けっきょく、自分がやりたいぶんは、絶対にやりきった。遠慮して、がまんして、鳴らさないですご時間というのは、一日で、〇秒だ。これが、十数年間、毎日、ずっと続いたのである。融通が利かない。「今日は、特別にこまるからやめてくれ」と言ったって、〇秒しかゆずらないのだ。「願書を書くから、一時間やめてくれ」と言ったって、ずっと、鳴らし続ける。ヘッドホンをするつもりもない。この態度が、どれだけ頭にくる態度か、わかるか? やられてない人には、根本的にはわからないと思う。そして、たとえば、願書を書くときに、きちがいヘビメタが鳴っていると、ミスを犯してしまう。そうすると、ミスをカバーしなければならなくなるのだけど、きちがいヘビメタが鳴っている状況で、新しく願書を取り寄せてカバーしなければならなくなるのだ。そして、それができない場合は、そのまま出すということになる。たとえば、ハンコが斜めに押された状態で出すということになる。ボールペンで二重線を引き、修正して、ハンコを押して出すということになる。見栄えが悪い願書になるのである。切羽詰まって、願書の修正をしているときも、きちがいヘビメタが、容赦なく、きちがい的な音量で鳴っているのだ。きちがい的な音量で鳴っていると、ほんとうに頭がこんががるんだよ。きちがいヘビメタが鳴っていると、学校の授業で覚えたことも、忘れてしまう状態になる。新しい問題に関しては、まったく考えられないという状態になる。家で勉強しようとすると、マイナスになってしまうのだ。頭がこんがらがって、できた問題もできなくなってしまう。そして、それは、自信を失わせることだ。だって、できなかったことを経験するということになってしまう。ヘビメタ騒音が鳴ってなければ簡単にできる問題なのに、できなくなってしまうのだ。おぼつかなくなってしまう。こんな状態で、入学試験を受けるということがどういうことなのか、みんなわかってない。中学時代全部、高校時代全部という人間にとって大切な時期を、こんな騒音で、汚されて、その後の人生に影響がないわけがないだろ。「過去は関係がない」と言ったやつがいっぱいいる。みんな、ぶっ殺してやりたいほど腹がたつやつらだ。ほんとうに、その言葉を言ったとたんに、そいつを、ぶんなぐってぶんなぐって、ぶっ殺してやりたい気持ちになる。けど、もちろん、殺したりしないし、ぶったりもしない。おさえる。けど、それがまた、ストレスになるのだ。きちがい家族によるきちがい騒音を、人生のなかで、経験しなかっただけなのに、えらそうなんだよ。これ、僕と彼らのちがいは、きちがい兄貴にやられたかやられなかったのちがいでしかない。けど、彼らは、「自分なら大丈夫だ」「自分なら影響をうけないことが可能だ」という前提でものを言ってくる。しかも、これが、僕にとって腹がたつことだということを、まったく、認めない。認めるわけがないだろ。きちがいヘビメタをやられたので、できない状態になっている。そのとき、きちがいヘビメタにやられてないやつが、「自分なら影響をうけない」という前提で「過去は関係がない」などと言うのだ。あるいは、「できないと言うから、できない」「できると言えばできる」などと言うのだ。こんなことを、言われて、腹がたたないわけがないのに、こいつらは、腹がたつということがわかってない。ここで、ぼくが反論をすれば、こいつらは、こいつらで、腹をたてるのだ。「過去は関係がない」ということは正しいということを言ってくるし、「できると言えばできる」ということは、正しいということを言ってくる。むきになっていってくる。けど、ここに書いたように、それは、正しくない。まちがっている。こういう、まちがったことを言うやつに、なめられるようになる。きちがいヘビメタ騒音でできなくなると、そうなる。しかも、こいつらは「人のせいにしている」と言い出すのだ。「自己責任だ」と言い出すのだ。こいつら、ほんとうに、ぶっ殺してやりたくなるなぁ。けど、どうして、ぼくが、ぶっ殺してやりたくなるほど、腹をたてるのかということが、わからない。わかるわけがない。こいつらは、想像力がないから、きちがいヘビメタ騒音の影響について、うまく想像することができない。理論的な思考力がないから、妄想的な前提があるということに気がつかない。たとえば、ぼくは、ヘビメタ騒音が鳴るまえは、できていたんだよ。ヘビメタ騒音が鳴り続けて、できなくなった。そりゃ、睡眠だってそうなんだよ。体力不足だってそうなんだよ。勉強だってそうなんだよ。ヘビメタ騒音が鳴るまえは、「できるできる」なんて言わなくてもできていたんだよ。ヘビメタ騒音が鳴るまえに、「できない」と言ったから、できなくなったわけじゃないんだよ。ヘビメタ騒音が毎日続くから、その影響でできなくなったんだよ。ヘビメタ騒音でできなくなったから、できなくなったと言ったんだよ。できないと言ったから、できなくなったわけじゃないんだよ。ヘビメタ騒音が毎日続くからできなくなったんだ。こいつ、ほんとうに頭がわるいなぁ。頭が悪すぎて話にならない。こういうやつらに、バカにされるようになる。きちがい家族よる、きちがい騒音が鳴っていると、こういうやつらにバカにされるようになる。
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「当時」と言っても、いろいろな「当時」があるのだけど、「人間は働くべきだ」と言ったやつが、無職になっていたら、承知しないからな。ぼくが、無職のとき、ヘビメタ騒音で通勤ができなくなったということを言ったのに、ヘビメタ騒音の影響は、無視して、「人間は働くべきだ」と言ったやつが、どんな理由であれ、無職だったら、俺はゆるさない。そいつは、どんなことがあっても、一生、死ぬ直前まで、働くべきだ。だって、そうだろ。そうしないのであれば、ぶん殴る。ぶん殴る。ぶん殴ってやる。けど、まあ、実際には、ぶん殴ったりしないのだろうけどな。そいつがどこにいるか、まったくわからないしな。けど、ヘビメタ騒音の影響を説明したのに、ヘビメタ騒音の影響をガン無視て「人間は働くべきだ」と言ったやつは、働くべきなんだよ。絶対に、無職になるな! 定年退職していたら、承知しないからな!