2025年2月25日火曜日

やってられない。そんなんじゃないから、こまっているんだろ。

 いやーー。ほんとう、つまんない。ヘビメタ騒音でズタボロだった。毎日毎日、ズタボロだった。一分間だって、ほんとうにゆずってくれたことがないのだ。毎日、はりだして、鳴らしていた。はりだして……。そりゃ、やられてない人間にとっては、どうでもいいことで、どうってこと、ないことだ。けど、四六時中たたられていると、ほんとうに、くるしいのである。ダメなのである。鳴らされて、ヘビメタ騒音を浴びているのに、影響をうけないということができないのである。これを、鳴らされてないやつが……同等の騒音を毎日経験してないやつが、……自分なら影響をうけないことが可能だという前提で……ものを言ってくる。それ自体が不愉快なことだ。そりゃ、どうしたって影響をうけて、どうしようもない状態でくらしているのだから……。本人の意思では、どうしようもない状態でくらしているのに……簡単に影響をうけずに暮らせるという前提で……ものを言ってくる。そんなやつばかりだ。だから、ヘビメタ騒音が鳴っていると、相手に対して「よわくなる」のである。突っ込みどころ、満載になるのである。しかも、「そんなのは、自己責任だ」という考え方がある。当時、自己責任という言葉はそれほどはやっていなかったけど……「ともかく、そんなのは、本人の責任だ」……「自分の身に起こったことは、すべて自分の責任だ」という考え方は、日常生活に浸透していた。ようするに、きちがい兄貴をしずかにさせることができないのは、エイリの責任だということになる。そいつらにとってはそうだ。けど、こいつは、きちがい家族が、うちでやることについてまったくわかってないのだ。どうしてなら、きちがい家族と一緒に住んだことがないからだ。きちがい兄貴の脳みそなんてかえられるわけがないだろ。「ちゃんと言えばわかってくれる」……こんなレベルで思考しているやつらが、わかったようなことを言ってくる。けど、ぜんぜんわかってない発言だ。どれだけちゃんと言っても、きちがい感覚で無視してやりきる。きちがい感覚が成り立っている。兄貴のきちがい感覚は、俺にはどうすることもできないんだよ。脳みその改造手術をするわけにはいかないのだから……。これ、そういうレベルのことなんだぞ。「ちゃんと言えばわかってくれる」という……妄想的にあまい設定でものを言うな! それこそ、現実に対応してない発言なのである。空想の、妄想発言なのである。脳みそがくるっているから、ほんとうに、そうしちゃうんだよ。きちがい兄貴は、きちがい兄貴がやっていることについて、客観的に正しい認識をもってないんだよ。きちがい頭の中で、「こんなのはたいした音じゃない」「これは、普通の音だ」と書き換えて、猛烈にでかい音で鳴らしているのであり、どれだけこっちが「迷惑だ」と説明しても、「迷惑行為をしている」とは全然考えることができない状態で、やっているのである。そして、自分が頑固にやったことは、「やったってやってない」の境地に立って「やってない」と思ってしまうようなきちがい人間なのだ。これが、よその人にはわからない。「言えばわかってくれる」という妄想的な前提に立てば「言わないエイリが悪い」ということになってしまうのである。さらに、「ちゃんと」というわけのかわからないことばをつけると、「ちゃんと言えばわかってくれるはずだ」ということになってしまうのでる。「わかってくれないなら、ちゃんと言ってない」ということになってしまうのである。日本語がわからない人のために説明しておくと、エイリさんがちゃんと言わないから、お兄さんがわかってくれないという意味だ。ここでも、精神世界的な「アトダシじゃんけん思考」が成り立っている。これだと、わかってくれない以上、ちゃんと言ってないということになってしまうのである。こんなでたらめなこと、ない。こんなでたらめな思考を普通にするやつが、俺のことを「ちゃんと言うことができない人」としてバカにしてくる。ほんとうは、きちがい兄貴に問題があるのだけど、エイリがチャン説明できないという、エイリの問題にすり替えしてしまうのである。「の」の重複を避けるために『きちがい兄貴の脳みその問題』とは書かかなったけど、きちがい兄貴における脳みその問題なのに、俺の能力の問題にされてしまうのである。能力の問題と書いたけど、ある意味、言語能力の問題だと言っているのだから、脳みその問題にされてしまうのである。兄貴の脳みその問題なのに、妄想的なことを考える人は、俺の脳みその問題だと思ってしまうのである。ちゃんと説明すれば、きちがい兄貴はわかってくれるのに、ちゃんと説明しないから、わかってくれないと考えているのだから、そうなる。こういうやつも、実は、自分の家に(兄貴とおなじようなタイプの)きちがい家族がひとりもいないから、そういうふうに考えてしまう。まあ、想像力や思考力もないのだろう。脳みそに問題があるんじゃないか。ともかく、「ちゃんと言えばわかってくれるのに、ちゃんと言わないからダメなんだ」と考えるやつは、兄貴の脳みその問題を、ぼくの言語能力的な問題に置き換えてしまう。そして、そういうまちがいをしておきながら、ぼくがちゃんと説明をしても、理解しないということをやってのけるのだ。これ、俺が、今ここで説明したことを、説明しても、「ちゃんと言わないからダメなんだ」といったやつが、理解してくれたことはないのである。現実の場面で、ぼくの経験の範囲で言うと、こういうやつが、ここに書いたことを理解してくれたことはない。だから、きちがい兄貴が、きちがい的な脳みその構造をもっていて、きちがい的な感覚で、きちがい行為を押し通してしまうと、ぼくが、バカにされるということになる。バカにバカにされるのだ。こんなの、ない。

これは、きちがい兄貴が鳴らしているきちがいヘビメタ騒音……によって発生する出来事なのだ。

やってられない。

いまでも、日曜日や祝日は、一日中、明るい時からずっとずっと、ヘビメタ騒音の感じがある。日中の感じとか、全部ヘビメタ騒音だ。夜の感じとか、全部ヘビメタ騒音だ。ヘビメタ騒音が、雰囲気に浸透して、雰囲気に「くっついて」いる。

これだって、「そんなのは異常だ」と、やられてないバカが思うわけだよ。けど、そのばかだって同じレベルのことを、同じ期間の長さ、毎日やられたら、やっぱり、自分のきらいな音が鳴っていた雰囲気というのが、今認知している雰囲気にくっついてしまうんだよ。ようするに、異常な刺激に対する正常な反応なのだ。人間は、そういうふうにできているんだよ。きちがい的な意地で無視して、普通の家では絶対にやらないことをやってしまう、きちがい兄貴の問題なのに、俺のほうの問題になってしまう。これは、実際に俺が、そうなっている。ようするに、問題をかかえてしまっている。毎日の繰り返しにより、「現実が暗いものになってしまった」のである。たしかに、生きている以上、俺の問題として、ある。くるしいのは、俺だからな。けど、他人の身の上には、生じなかったことだから、他人が俺のようになってないだけなんだよ。これ、走れば息があがるのと同じような反応なんだよ。ところが、やられたことがないやつは、これも、「軽く見て」……自分ならやられたってそんなことにならない……と思って、そういう前提でものを言ってくるようになる。どんなことがあったって、憂鬱なやつは、憂鬱なやつが悪いということを言ったりする。自分で自分のご機嫌をとればいいのにとらないからダメなんだと言ってくる。楽しい楽しいと言えば楽しくなるのに、楽しい楽しいと言わないからダメなんだと言ってくる。こいつらは、みんな、ぼくと同質・同量の、同室の騒音を経験したわけじゃない。人生のなかでぼくと同質・同量の経験をしたわけじゃない。それは、俺のような現実かかえてないという点でわかる。そして、「る。楽しい楽しいと言えば楽しくなるのに、楽しい楽しいと言わないからダメなんだ」と言っている点でわかる。ところが、こいつらがみんな……ほんとうにみんな……「自分だって苦労した」と、自分も同質・同量の経験をしたという前提で、「そんなのは、エイリさんの責任だ」ことを言ってくる。これも、楽しくなろうと思えば楽しくなれるのに、楽しくなろうとしないエイリさんの問題なんだということにしたいのである。こいつらの思考は、どこまでもどこまでも、きちがい家族に毎日、何年間も、十数年間もやられたやつを、追い込む思考だ。

そんなんじゃないから、こまっているんだろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。