2025年2月27日木曜日

「引き寄せ」という考え方をはやらせるために、嘘を言うことを考えてみよう(10)

 
まあ、話がずれた。「すべては思いよう」批判になってしまった。「すべては思いよう」なら、「引き寄せよう」と思う必要もないのである。「すべては、思いよう」なら、引き寄せようと思う必要がなくなる。

「引き寄せなんてできなくても、ものは思いようなので、引き寄せられない今の状態でいい」ということになる。

引き寄せが、いじめやいじりの題材になってしまうのだ。こんなもの、条件が悪い人を、いびっているようにしか思えない。条件が悪いので、よい出来事が起こる確率が低くて、悪いことが起こる確率が高いのに、その(条件が悪い人)の「思い描く力のせいだ」ということになってしまうのである。その(条件が悪い人)が、うまく引き寄せることができないから、ダメなんだということになってしまうのである。

基本的には、社会が、まず、条件の格差を縮小しなければならないのである。格差をそのままにして、個々人の自己責任だと人をせめるのはやめたほうがいい。

たとえば、レベル一からレベル一〇までの格差を考えるとする。レベル一が最低の条件で、レベル一〇が最高の条件だとする。その場合、レベル一の人は、レベル二から一〇の人に、ダメ出しをされるようになるのである。

問題は、レベル一の人が、どれだけうまく、成功したところを思い浮かべても、レベル一の確率でしか成功しないということなのだ。うまく成功したところを思い浮かべることができるようになれば、レベル二の確率で成功するようになるかというと、ならない。

どれだけ、うまく、成功したところを思い浮かべても、レベル二の成功確率にならない。

たとえば、レベル一の条件がもたらす成功確率が一〇%だとする。また、レベル二の条件がもたらす成功確率を二〇%だとする。

その場合、レベル一の人が、どれだけ、うまく、成功するところを思い浮かべても、成功確率が二〇%にならないのだ。

ほんとうは、成功確率は、思い浮かべることで制御できる確率ではない。そうではなくて、条件をかえなければならないのだ。

たとえば、社会的な努力で、レベル一からレベル一〇まである一〇段階の格差を、レベル四から、レベル一〇まである七段階の格差にすれば、そのぶんだけ、人がしあわせになれる確率があがるのである。

ところが、一〇段階の過酷な格差を是正せずに、個人のせいにして、個人に(どうせむだな)努力を求めるのが、いまの社会なのだ。

一般人が、一般人をいじめているような状態になっている。

「うまく思い浮かべればいいのだ」ということになると、「うまく思い浮かべることが、できる人」と「うまく思い浮かべることができない人」の格差になる。

けど、これは、嘘の格差だ。

現実世界に実在する条件の格差を、架空世界の「うまく思い浮かべることができるかどうかの格差」に置き換えてしまっただけなのだ。

だから、現実世界の条件が、出来事の発生率を決めるので、うまく思い浮かべても、条件が悪い人は「いい出来事」の発生率を上げることができないということになる。

けど、あたかも、現実の条件に関係なく「うまく思い浮かべることができるようになれば」いい出来事が起こる確率をあげることができるという妄想的な考え方が、社会を支配しているのである。

そうなると、「うまく思い浮かべる努力しなかったやつが悪いんだ」ということに、また、(原因を)すりかえられてしまうのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。