ちょっとだけ書いておく。
たとえば、学生時代の写真で、笑顔の写真がある人と、学生時代の写真で、暗い顔の写真がある人の卒業後の生活レベルを比較したら、笑顔の多い写真がある人のほうが、生活レベルが高かったとする。
笑顔には生活レベルを上げる効果があると言えるのかどうかだ。
基本的には、そうは、言えない。顔の表情には、笑顔、暗い顔の二通りがあり、生活レベルには、高いと低いの二通りがあるとする。
だから、笑顔が生活レベルを高くしたと言えそうな感じがするけど、そうじゃない。たとえば、親の性格という項目と、親の収入という項目をつくったとする。
じつは、親の性格がよく、親の収入が高い人は、笑顔が多かったという関係があるなら、じつは、卒業後の生活レベルを決めるのは、笑顔ではなくて、親の性格がよくて、親の収入が高いという項目(因子)の影響をうけたのではないかと考えることができるのだ。
きちがい的な親のもとに、生まれたとしよう。
そして、きちがい的な親が低収入で貯金がゼロだったとする。この場合、写真というのが問題なのだけど、きちがい的な親が攻撃を仕掛けてくる期間は、暗い顔になっただろう。その日は、暗い気持ちになったかもしれない。
そして、おカネがないので、いろいろなものを買ってもらえず、友達づきあいで、不愉快な思いをする回数が多いとする。
この場合、やはり、笑顔ではなくて、暗い顔になると思う。
そりゃ、不満をかかえるわけだから、そうなる。
いっぽう、親が愛情にあふれた人でで、子どもがよろこぶ姿を見たいと思っていた場合は、子どもは、笑顔になる回数が多くなるだろう。
親が与えたものが、成人後の生活レベルに反映しているのではないかということが考えられる。
笑顔は、サインであって、もともとの原因ではないのではないかと考えることができるのである。もともとの原因は、親の性格と親の収入なのではないかと考えることができるのである。
さらに、卒業写真の場合は、指導がはいる場合がある。集合写真のときも、笑っていると、注意されるかもしれない。
だから、実際の生活を反映したものではないかもしれない。
しかし、それでも、笑顔のほうが、暗い顔よりも、相手にいい印象を与えやすいということは、言えるかもしれない。その場合は、親の性格と親の収入が、笑顔を作り出し、笑顔が(一応はランダムに)影響をあたえたということになる。ようするに、相乗効果はあるかもしれない。
しかし、言っておきたいのは、作り笑いの笑顔とほんとうに笑っているときの笑顔は、ちがうということだ。
作り笑いの笑顔も、ほんとうに笑っているときの笑顔がおなじ効果をもっているという前提は、前提として、不適切だ。
作り笑いの笑顔とほんとうに笑っているときの笑顔を見分ける能力がある人が、表面的にはどうであれ、作り笑いの笑顔とほんとうに笑っているときの笑顔におなじ反応をするとは、かぎらない。
いっぽう、詐欺師の作り笑いにだまされてしまう人もいる。これは、たぶん、作り笑いの笑顔とほんとうに笑っているときの笑顔を見分けることができないのだろう。つまり、人によって、作り笑いの笑顔とほんとうに笑っているときの笑顔を見分ける能力に差があるのではないかと思う。
もう一つ言っておくと「運」という言葉を使うと、科学的ではなくなるということだ。
「作り笑顔でも、笑顔が運を上げるので、生活レベルがあがる」ということは、科学的には言えない。この場合の運というのは、結果の言い換えすぎないから、原因にはなりえない。
『運』という言葉を使うと、結果を含んだ、なんだかわからない用語を使って、現象を説明することになるので、科学的な説明にはなりえないのである。