自分の夢や自分の希望について考える場合は、自分の条件というものを、現実的に考えることができる。自分が一倍速で経験してきたことが、自分の「いまの」条件を作り出しているということに、疑問をもたない。実際に、経験してきたことなので、自分が経験してきたことを考えれば、自分の条件について考えることができる。しかし、他人の条件だとどうだろう? 他人の条件は、聞いたことがない場合は、まったく知らないし、聞いた場合は、聞いたことだけしか、わからない。そして、その経験がほんとうにもつ意味は、わからない。その経験がその人のからだにあたえた影響が、わからない。自分の経験が自分のからだにあたえた影響なら、わかるのである。
この場合、条件を無視した思考だと、ごく普通に、相手の条件を軽視し、無視することになる。相手が「こうだ」と言ったって、「そんなのは関係がない」と言える。自分のからだのことではないので、ほんとうのことは、わからない。自分が経験してきたことなら、自分が経験したことが「いまのからだ」にあたえている影響が、ごく自然にわかる。けど、他人の話を聞いたところで、他人の出来事が他人のからだにあたえた影響なんて、わからない。いちおう、言葉だけで理解したとしても、それは、言葉だけの理解なので、たいへん質が悪い理解だ。たいへん理解の程度が浅いと言わなければならない。
「XをすればYになる」という文型におさまるライフハックは、全部、条件を無視したものなのである。どういう家に生まれたか? どういう経験をしてきたか? そういうことを無視して「XをすればYになる」と言っているのだ。これじゃあ、おおざっぱなことでも、判断をまちがえる。条件による場合分けなんて考えなくていいということになっているので、条件が悪い人には、無理なことを言うことになる。条件が悪い人は、「Xをしたって、Yにならない」場合のほうが多いのである。しかし、XをすればYになる」という言い方にはXをしてもYにならない場合が含まれない。すべての場合において「XをすればYになる」のである。その前提自体がまちがっている。