「思いが現実化する」ということのどこが悪いんだ? と思う人もいると思う。
けど、その人たちは、勘違いをしている。
ぼくが言いたいのはそこじゃないわけ。
ぼくが言いたいのは、そういう「いいこと」だと思われていることが、実は、社会のゆがみをうみだしているということなんだよ。
思いが現実化する……というのは、自分の希望がかなうということだから、とてもいいことなのだけど、理論に問題があるわけ。
端的に言ってしまうと「のび太の思いが、ジャイアンをして、のび太をなぐらせる」というようなことを、正しいこととして認識してしまう人がいるわけ。
けど、それは、間違っているわけーー。
あと、こういう人たちは、出来事の順番を無視して、「思ったから、こうなったんだ」と決めつけてしまうわけ。
そして、自分のことなら、ともかくとして、他人のことに関して、こういう決めつけをしてしまうのは、ものすごくよくないことであるわけーー。わかるかな?
出来事の順番を無視するというのは、時系列的な順番を自分で、都合がいいように書き換えて、事実を上書きしてしまうということなんだよ。わかるかな?
順番がある。
「思いが現実化する」と思っているわけだから、思いのあとに現実がくるわけ。
ところが、実際の社会では、現実が、さまざまな思いをうみだしているわけ。だから、この順番を無視してはいけないわけーー。わかるかな?
たとえば、水俣病になって苦しんでいる人は、水俣病になってから、くるしくなったんだよ。そして、有機水銀という物質的な原因があるわけーー。ところが、思いが現実化するということにことに、こだわっている人は、実際に、水俣病になって苦しんでいるなら、水俣病になるまえに、水俣病になって苦しむとと思ったはずだと思ってしまうわけ。
順番がある。
条件が悪い人は、条件が悪い。
これをまず認めてあげなければならないわけーー。
ところが、条件は無視してしまうので、実際に考えられる条件は、「思うかどうか」ということになる。実際に、不幸な事件が発生したなら、その人が、不幸な事件を引き寄せたんだと、引き寄せ思考をしてしまうわけ。
ところが、その人のせいじゃないことがほんとうにある。だから、ほんとうは、その人のせいじゃないのに「その人のせいだ」とせめることになる。
「思いが現実化する」と思っている人は、内側の思いが、時系列的に「さき」にあって、そのあと、その思いが現実化すると考えるわけだから、「その人が悪いことを思ったから、悪いことが発生した」とごく単純に考えてしまうわけーー。
ところが、それが、まちがいなんだよ。
だから、「思いが現実化する」と思って夢をかなえるようなパワーを感じているときとは、ちがったことが起こるわけ。起こってしまっている。わかるかな?
自分の思いは、思ったから現実化するはずだと、思っているときは、別にいいのだーー。
けど、他人に対して、「そのひとのせいだ」と思っているときは、ネガティブな思いにとらわれているわけ。そして、他人を攻撃するわけ。実際に、他人を攻撃するときのロジックがあっているのなら、まだしも、ロジックが完全にまちがっている。
完全にまちがったロジックで他人を攻撃している。これが、ポジティブなことであるはずがないでしょ。
もし、ポジティブだとしたら、悪いポジティブだ。
「思いが現実化する」ということを考えている人は、「自分の夢が現実化する」ということしか、最初は、考えてないのだけど、だんだん、不幸な他人をせめるような気持ちになっていくわけーー。
その、不幸な他人をせめるような気持ちになることが、最初から、決まっているわけ。これは、自己実現なんてものにこだわっている人が、だんだん、ホームレスを軽蔑するようになるのと、だいたい、おなじしくみが成り立っている。
ようするに、「思いが現実化する」という理論には、最初から、この攻撃が内包されている。 「思いが現実化する」と思ったときから、じつは、この攻撃性が、毒のようにこころに広がっていくわけ。
どうしてかと言うと、これまた、ほんとうは無視してはいけない「条件」というものを無視してしまうから、そうなる。不幸な環境のもとに生まれたから、不幸な出来事を経験してしまう人がいるわけなんだけど、その人は、別に不幸なになるとか不幸なことを経験したいと思っているわけではないのだ。ところが、「思いが現実化する」ということにこだわる人は、だんだん、不幸な人は不幸になることをのぞんでいたから不幸になったと考えるようになるわけ。これは、こころにひろがる毒なんだよ。
だから、まあ、内に秘めた強い思い……ということでいいんじゃないの。「思いは現実化する」と内側で、強く思っていればいいわけ。「不幸な人は、不幸になると思ったから不幸になったんだ」と思ったときは、「人には条件がある」「現実の出来事のほうが先だという場合もある」と思ったほうがいい。これ、「思いが現実化する」というのは、何度も言うけど、実際に不利な人を攻撃する部分がある。これは、最初から内包されている。
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基本、いまの社会というのは、悪魔が作った社会なので、価値観も、悪魔の影響をうけている。どれだけきれいごとを言っても、きれいごとのなかに、悪魔的な部分が含まれている。
たとえば「努力をすれば成功する」ということにこだわっていると、次第に、成功してない人を努力しない人ととして、軽蔑するようになる。成功してない人を、せめる気持ちが出てくる。
たとえば、「人間は働くべきだ」ということにこだわっていると、次第に働いてない人をうらむようになる。無職を攻撃したい気持ちになる。
そして、自分が働けなくなったら、「それはしかたがない」と自分勝手なことを言い出す。自分がかつて、働けない人に「人間は働くべきだ」と言って攻撃していたことは忘れてしまう。「自分は働かなくてもいいけど、他人は働くべきだ」というようなことを言って、矛盾を感じない。これは、他人にいい影響をあたえない。