普通の人なら、言われなくてもわかることが、まったくわからないんだよね。
言われても、頑固にわからない状態のままになる。
そうなると、まわりの人がこまるんだよ。
きちがい親父は、魚の粕漬のにおいを認めない。きちがい親父が、魚の粕漬を出しっぱなしにしたいと思ったら、都合の悪いことは、認めないのである。
けど、これが、普通の人だと、「くさいのはわかっているけど、くさいということを認めないと、自分が片づけなければならないことになるから、認めない」ということが、わかっている。
どれだけ「くさくない」「におわない」と言い張っても、本人が、「くさい」ということを知っている。
ところが、きちがい親父だと、そのときだけ、ほんとうに、鼻が利かなくなるのだ。そのときだけ、臭覚が異常になる。そのときだけ、感覚器にズレがしょうじる。そのときだけ、感覚器が機能しなくなる。
これが、無意識的なレベルでおこなわれているから、非常にこまるのである。
自分がにおいを出しているときは、「くさない」「におわない」ということになるのだけど、ほかの人が、しかたがない理由で、一時的ににおいを出しているときは、においがわかるので「くさいよ」などと言ってきたりする。
これ、ほかの人にはちょっとだけ、一時的ににおいを出さなければならなくなる理由があるのである。そして、ほかの人は、一時的ににおいを出すけど、頻繁にやることじゃないから、ちょっと見逃してくれという態度だし、ほかの人は、においを出していることを認めている。
ともかく、きちがい親父の鼻は正常なので、ほかの人が一時的に出すことになる、においに関しては、敏感に察知することができるのである。
ほかの人が、一時的ににおいを出すのは、数年に一回なんだけど、その数年に一回のことは、「くさい」と文句を言ってくるのである。親父がほかの人に文句を言う。
これ、おかあさんも、こまっいたんだよな。じゃあ、おかあさんが、めったに魚をこがさないけど、数年に一回の頻度で、魚をこがしたとする。
そうすると、たいしてくさくないのに、きちがい親父は、気ちがいだから「くさいよ」と言って、おかあさんをせめるのだ。
だったら、臭覚は正常なのだ。臭覚は正常。
ところが、自分が、その気になって!くっさーーーい!さかなを出したくなったら、突然、鼻が利かなくなるのである。自分がやっていることに関しては、くさくないのである。
そして、他人が、「くさいからやめてくれ」と言ってきたら、「くさないよ!!」と怒鳴るのである。発狂して、絶対に認めない。
この態度は、兄貴にもある。兄貴は聴覚が正常なのに、自分がどれだけでかい音でヘビメタを鳴らしているのかについては、無頓着なのである。兄貴は、聴覚が正常なのに、きちがい親父とおなじように、ものすごくでかい音で鳴らしているということがわからないのである。
これは、聴覚のレベルでわからないということになっている。
自分がでかい音で鳴らしたい場合は、自分がでかい鳴らしたい音だけ、ちいさい音で聞こえるのだ。たいしてでかい音で鳴らしているつもりではないのだ。普通の音で鳴らしているつもりなのだ。
どこでも、普通に鳴らせる音で鳴らしているという感覚がある。けど、普通の人は、鳴らせないほどでかい音で鳴らしている。聴覚が正常なら、この音がでかいということがわからないということが、おかしいのである。
で、この感覚が、どれだけ、言っても、なおらない。正常にならない。
きちがい兄貴は、ほんとうに爆音で鳴らしている。あんな音で鳴らしているうちなんてないのである。ヘビメタが好きな、兄貴の友達が、うちにきた時、その兄貴の友達が「こんな音で鳴らして大丈夫なの?」「(自分は)うちでは、こんな音で鳴らしたことがない」と言ったのである。
普通の人が五秒で気がつくことに、何十年たっても気がつかない。兄貴の友達が「こんな音で鳴らして大丈夫なの?」「(自分は)うちでは、こんな音で鳴らしたことがない」と言うような音で、普段、鳴らしているのである。
きちがい兄貴もきちがい親父も、自分にとって都合が悪いことは、感覚器を書き換えて認めないのである。
これが、無意識的なレベルでおこなわれることなので、ものすごくやっかいなのである。
俺が、誤解をされる。俺が普通の他人から、誤解をされる。