ほんとうに、特別に騒音に強い個体も含めて、みんな、やられたら、俺とおなじような状態になると思う。けど、ほかの人にはきちがい家族がいないので、俺とおなじことをやられる……実際にやられるということがない。俺とおなじような生活を、一一歳のときから二五歳まで、あるいは、一一歳のときから一八歳まで、続けるということがない。実際にやられてないので、どういう状態になるのかわかってない。わかってないところで、「自分だったらやられても平気だ」という前提で、ものを言ってくる。しかも、俺がヘビメタ騒音のことを説明しても、俺が嘘をついていると思っているやつらは、「ヘビメタ騒音などはなくて、エイリの性格がゆがんでいるから、そう言っているだけだ」という解釈をするのだ。こういうやつらの態度は、じつは「自分だったらやられても平気だ」と思っているやつらよりも、悪質なものになる。ひどいものになる。そりゃ、「やられてなかったのに、あれができない。これができないと言っている」と思っているのだから、態度が悪くなる。悪態をつく。勝手に見下して、悪態をつく。けど、悪態をついたって、悪いとは思わないんだよ。世間のやつと言うのは、ほんとうに、「自分だったらやられても平気だ」とヘビメタ騒音の影響を無視するやつと、「ヘビメタ騒音などはなくて、エイリの性格がゆがんでいるから、そう言っているだけだ」とヘビメタ騒音がそもそも(そんなにでかい音で)鳴ってなかったという解釈をするやつばかりだ。毎日、きちがい家族にやられると、よそのやつから、そういうふうに思われるようになる。兄貴の脳みそが、かわっているのに、俺の脳みそがかわっているから、兄貴が(そんなにでかい音で)鳴らしてないのに、勝手に、でかい音で鳴らしていると言っているだけなんだという解釈をするやつは、兄貴の脳みそじゃなくて、俺の脳みそに問題があると考えているのだ。こいつら、ほんとうに、頭がわるいなぁ。ヘビメタ騒音の影響を無視する夜郎自大なやつと、ヘビメタ騒音なんて本当は鳴ってなかったんだと思うような悪質なやつばかりだよ。世間には、そういうやつが多い。そして、ほんとうに、きちがいヘビメタ騒音で勉強することができないのに、勝手にさぼったと思っているわだろ。ほんとうに、頭がわるくて、性格が悪いやつらだな。
きちがい兄貴の態度は、おかしいんだよ。あんな音で、鳴らそうと思わないんだよ。普通の人はあんな音で鳴らそうと思わないし、聴覚が正常なら、鳴らしている音がでかい音だということは、どんなに否定した気持ちがあったとしても、認めざるをえないんだよ。けど、その、認めざるをえない状態を、きちがい的な跳躍で乗り越えて、まったく、認めないのだ。こんなのは、そりゃ……普通の人は信じないだろう。実際に、こういうきちがい的な家族と一緒に住んでいないのだから、こういうきちがい的な家族が、自分の勉強を、とことん、じゃまするということを経験してないのだ。まったく融通が利かない状態で、(すべての時間)を鳴らしているのだ。もちろん、二四時間中二四時間鳴らしているわけではない。使える時間はすべて使って鳴らしているということだ。こっちが、どれだけ困っていたって、こまっているということを認めずに、一秒もゆずらずに頑固にやりきる。けど、そういうつもりがないのだ。これも、アクティングアウトというか……自分の気持ちが飛び出して、自分がやりたいことを、きちがい的な意地で……なにを言われてもゆずらずに、頑固に、やるのに、本人は、そういうことをして「いる」というつもりがないし、本人はそういうこと「した」というつもりもないという状態になっている。そういう状態が、つねに続くのだ。こんなの、きちがい家族と一緒に住んでいる人しかわからない。きちがい家族といっても、きちがい兄貴とおなじような人といっしょに住んでないとわからない。「そんな、へんなことはない」で、おしまいだ。あるいは、「そんな、へんな人はいない」でおしまいだ。付け足すなら「そんなへんな人がいるならほかの家族がほっておくわけがないだろ」ということになってしまう。こいつらの、頭のなかでは、そうなってしまう。……と・こ・ろ・が、ちがうんだよ。きちがい親父は、きちがい兄貴とおなじだし、きちがい親父もきちがい兄貴も、おかあさんの言うことは、聞かないのだ。しかも、「聞かなかった」という気持がない。ガチャめちゃな意地で、本人がやりたいことをアクティングアウトするけど、それに関しては、本人は、まったく無頓着なのだ。まったく、認識してないのだ。どうして、やったと認識しないですむのかと言うと、やったからだ。自分の気がすむ行為を実際にやりきったからだ。これ、自分がやろうとしたことを、やれなかったということになったら、そりゃ、もう、発狂してあばれるような状態になる。一秒間でも自分ががまんしければならなくなったと、なったら、もう、発狂して、発狂して、発狂がとまらない状態になる。だから、おかあさんは、いつもこまったこまったと言っていたんだよ。「みんな、言うことを聞かないからこまる」「みんながよくなるように、やってあげているのに……」と言っていた。そして、おかあさんは、外部に「うちの問題」がもれて、おおごとになるのがいやだという気持があった。だから、ばれそうになると、しらばっくれてしまうというような感じがあった。ともかく、一秒間でもやめさせようとしたら、殺し合いになるしかないのだ。包丁で刺して、やめさせるということができなけば、やめさせることができない。こいつらは……親父と兄貴は、やりきるから、やったつもりがないだけなんだよ。これだって、ほかの人にはまったくわからないことだろ。わかるわけがない。けど、ほかの人よりも、ずっとずっとずっと、わかってないのが、親父と兄貴なんだよ。ともかく、兄貴は、ぼくが説明したような音のでかさで、ずっと鳴らしていた。親父は、兄貴とおなじ脳みその構造をもっているし、おかあさんは、こまっているだけで、よその人に相談しようとしない。だいたい、よその人だって、うちにずっといるわけではないのだから、「うちの人だけになった状態」というのが、わかってないのだ。一秒でもやめさせようと思ったら、包丁で刺してやめさせるしかないのだ。こういうレベルのテンションなのだ。しかも、本人がわかってないのだ。これ、どうするんだよ?
きちがい兄貴の『頭の問題』なのに、ほかの人は、俺の『頭の問題』だと思うのだ。いやなんだよなーー。こういう、構図。「の」の重複は指摘しなくていい。
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頭が悪い人だと、いままでの説明を聞いて、言うことが……「『の』が重複している」ということなのだ。『もっと重要なことを言ってきたのに、おまえが、気がつくのは、そこだけか』と思う。こんな、幼稚なやつが、「『の』が重複している」と言ってくる。ヘビメタ騒音のことを説明したのに、そんなことを言ってくる。世の中には、こういうバカがざらにいる。『の』の重複には、書いたときに気がついている。きちがい兄貴における『頭の問題』と書くよりも、きちがい兄貴の『頭の問題』と書いたほうが、すっきりするので、ふたつまでなら、オッケーだということにして、きちがい兄貴の『頭の問題』と書いたのだ。
まあ、「きちがい兄貴の問題」と書いたあと、「問題というのは、頭の問題のことだ」と書くこともできる。しかし、きちがい兄貴の『頭の問題』という書き方が一番すっきりしている。
「『の』の重複」問題以降、削除する可能性がある。気分で削除する。
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「ああいえば、こういう」タイプの人間がいる。たとえば、ぼくが兄貴の部屋に行って、「やめてくれ」とどなったということを言うと、「ああいえば、こういう」タイプの人間は、「どなったら、いかん。しずかに言わなければならない。しずかに言えば、聞いてくれる」と言うようなことを言うのだ。いや、なっているのだから、どならないと聞こえないし、きちがい兄貴が、一階の部屋にいるわずかな時間に、(こっちが兄貴に)しずかに言っても、(きちがい兄貴は)きちがい的な顔をして、無視をしたのだ。何回も何回もそういうことがある。けど、きちがい兄貴の性格なんて、そいつは知っているわけではない。けど、「どなった」とか「どなって言った」という言葉を聞くと「しずかに言えばいいのだ」ということを言いたくなるやつがいるのだ。「自分なら……しずかに言って、解決できる」「お兄さんをしずかにさせることができた(はずだ)」と思っているのだ。こういう、 「ああいえば、こういう」タイプの人間は、間髪をいれずに、突っ込んでくる。