実際にぼくの部屋に入ってヘビメタ騒音を聞いた人と、実際には、うちに近づいたことがなく、ヘビメタ騒音をまったく聞いたことがない人だと、ぜんぜん、ぼくに対する態度がちがうんだよな。根本的な態度がちがう。
しかも、おかあさんも普通の人ではなく、こまったこまった」と言いながら、うなだれて、だるそうに布団のなかにいる人だから、俺が誤解をされる。あれ、ほんとうは、普通のうちだったら、五分間鳴らしたところで、親が猛烈に怒ってしずかにさせる音なんだよな。うちだと、俺が言っているだけで、おかあさんは、うなだれてだるそうに布団にくるまっているような人だし、親父は、きちがいだから、きちがい方向にスイッチが入って、絶対に注意しないような人なんだよな。こういうのも、ほかの人は、想像しにくいから、実際に聞いていなければ、「そんなにでかい音で鳴ってたのかな」と疑問に思うわけだ。俺が追い込まれるようにできている。普通の人は、「そんなにはでかい音で鳴ってないのだろう」と思う。そりゃ、もし、ぼくが、言っているような音で鳴ってたなら、普通、親がどうにかしようと思うからだ。おかあさんも、親父も、別の方向にずれていて、普通の人じゃない。
おかあさんが、二階の部屋まで行くということが、当時から、おかあさんにとってたいへんなことなんだよ。そのたいへんなことをして、きちがい兄貴に注意したことはあるけど、きちがい兄貴は、おかあさんの注意を、きちがい親父のように無視して、鳴らし続けた。何回か注意されたのだけど、「おかあさんは(弟の)味方をして……」とおこる場合と、「わかったわかった」と言って、一〇分間ぐらい、〇・一ベルぐらいさげて、一〇分目から〇・一ベルデシベルあげて、普段通りに鳴らすということになった。だから、しずかにしてない。けど、きちがい兄貴取っ手は、〇・1デシベルだろうが一〇分間だろうが、しずかにしてやったら、それは、永遠に記録に残るようなすごいことなんだよ。一回だけでも、一〇分間、〇・一ベルデシベルさげてやったら、もう、一生涯、さげてやる必要がないと思うような人なんだよ。たとえ、〇・1デシベルだろうが一〇分間だろうが、さげてやったら、ものすごいことだから、これからは、ずっと、さげてやらなくてもいいと思う人なんだよ。「〇・1デシベルだろうが一〇分間だろうがさげてやったら、さげてやったのだから、さげてやらなかったわけじゃない。だから、ずっと、ゆずらずに鳴らしていい」と自然に思う人間なんだよ。さげてやったか、さげてやらなかったかの二値思考で、さげてやったのだから、もう、じゅうぶんだと勝手に決めつけてしまう。「やってやらなかったわけじゃない」ということになる。「だから、いいんだ。問題はないんだ」と思って、思いっきり鳴らして、なんとも思わない人だ。「うるさい音で鳴らしている」という気持が、そもそもない人間だからなぁ。よそのうちでは、ほんとうは、気ちがい兄貴だって、あんな音じゃ鳴らせないのに、それに気がついてない。たとえば、きちがい兄貴が、おばあちゃんのうちに、下宿して、あの音で鳴らせるかと言ったら、鳴らせない。けど、うちだったら鳴らせるし、鳴らせてあたりまえの音だと、無意識的にも意識的にも思ってしまう。
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うちに、きちがい兄貴が鳴らしているときにきたことがない人だと、「たいした音で鳴ってないのだろう」と思ってしまう。俺が、ものすごくでかい音で鳴っていたと言っても、「対して鳴らしてないのではないか」と思ってしまう。どうしてかというと、そんな音で鳴らしていたら、親が、絶対におこるはずだかだ。親がなんとかしようと躍起になるからだ。親がなんとかしようと躍起になったことがないのだから、エイリはすごい音で鳴っていたと言っているけど、それは、エイリがすごい音で鳴っていたと言っているだけなんだ」と思ってしまう。そして、たとえば、「エイリは音に敏感なんだ」と思ったとすると、「音に敏感なエイリがすごい音で鳴っていたと言っているだけなんだ」ということになる。おかあさんも、うちの問題をそとに漏らすことには、抵抗がある人で、普通の人じゃないところが、かくれた問題になっている。俺がほんとうのことを言っているのに、俺が、「きちがい兄貴が鳴らしているときにきたことがない人たちに、誤解され、追いつめられることになっている。おかあさんも、普通の人じゃないのである。きちがい親父やきちがい兄貴とは、ベクトルがちがうけど、普通の人じゃない。普通の感覚の、普通に元気な人じゃないのである。
きちがい兄貴が鳴らしているとき、ぼくの部屋に入った友達に、証言してもらわないとダメなんだよな。けど、たとえば、ぼくがほかの人に自己紹介をしているとき、その友達がぼくの横にいつもいてくれるわけじゃないだろ。
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たとえば、三〇歳とか、ある程度歳がいったとき、無職だと自己紹介すると、「なんで無職なんだ」ということが問題になる。だから、ヘビメタ騒音のことを話さなければならなくなるのだけど、この時だって、「あいつが、すごい音で鳴っていたと言っているだけなんじゃないか」と疑問に思うやつがいる。
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AさんとBさんがいたとする。Aさんは、短期間だけど、ぼくとおなじような騒音を経験したことがある人だとする。そして、Bさんは普通の人だとする。そうすると、普通の人だから「そんなの関係、ない」「鳴り終わったら、関係、ない」「すごい音で鳴っていたと言っているけど、たいした音で鳴っていたわけじゃないんじゃないか」と思ったとする。そのあと、一〇年たって、ぼくのこのページを読んだとする。そうすると、「でかい音で鳴っていたなら、でかい音で鳴っていたと、ちゃんと言わなきゃダメ」と言ったりするのだ。Bさんが「ちゃんと、でかい音で鳴っていたと(エイリが)言っていた」とAさんに言ったって、Aさんは、不機嫌なままなんだよ。
こいつも、記憶を改ざんして「でかい音で鳴っていたなら、でかい音で鳴っていたと、ちゃんと言わなきゃダメ」などと言うんだよ。たぶんだけど、こいつは、俺の話を聞いたとき、「そんな音で鳴っているなら、家族がどうにかしたんじゃないか」と思ったんじゃないかな。「そんなのは、不自然だ」「そんな音でずっと鳴っているのは、不自然だ」「家族がしずかにさせようと動かないのはおかしい」と思ったんじゃないかな。多分だけど……。
いちおう、「鳴っていた」と書いたけど「鳴っている」でもおなじなんだよ。現在進行形のときも、そういう態度の人が多かった。 実際にぼくの部屋に入ってヘビメタ騒音を聞いた人と、実際には、うちに近づいたことがなく、ヘビメタ騒音をまったく聞いたことがない人だと、ぜんぜん、ぼくに対する態度がちがう。