2025年1月20日月曜日

支配者層は、被・支配者層の人に『条件の差』について考えてほしくない

 実際にはある、格差を無視して、格差がないという前提で、スピリチュアルなことを言う人たちがいる。格差がないという前提で話をしているということにすら、気がつかない場合がある。格差というのは、積極的に無視されているのである。「あったって、ない」ことになっているのである。そこで登場するのが、内面的なこころの持ち方なのである。しかし、内面的なこころの持ち方の問題にすると、実際に、格差において、下に位置する人が、こまるのである。格差において下に位置する人の問題が、実際に、悪い条件によってもたらされたことだとしても、その人の内面から出た問題だということにされてしまうのである。ようするに、「みんな」が条件の悪い人を袋叩きにしているような状態が成り立つ。比喩的に言えば、条件の悪い人は、なぐられっぱなしなのである。実際に、その個人のせいで、こうなったということについても、実際にはその個人のせいではないのに、悪い条件によってこうなったということについても、「みんな」は、その個人のせいでこうなったと判断するようにしつけられているのである。あるいは、洗脳されているのである。まあ、「みんな」というのは、その社会にすむ「他者」という存在だとしておこう。こういう考え方をはやらせようと計画をたてた人と、実戦部隊として、こういう考え方をはやらせる人たちがいるのである。そして、メディアは、実戦部隊の味方なのである。計画をたてた人、実戦部隊の人、メディアの人は、ともに、あるグループに属している。だから、「そういう話」が注目されて、「だれでも知っている話」になるのである。これは、「内面をポジティブなものにかえれば、ポジティブなことが発生する」ということを言っている学者もおなじだ。インフルエンサーもおなじだ。「内面をポジティブなものにかえれば、ポジティブなことが発生する」という考え方が、はやるのである。けど、条件が悪い人においては、内面がネガティブだから、ネガティブなことが発生するわけではないのである。条件が悪い人は、条件が悪いから、ネガティブなことが発生するのである。条件によって、不可避的に発生する出来事が、その個人にとってネガティブなことだから、ネガティブなことが発生したと、その個人が認識するのである。ここには、受け止め方の問題にすぎないという言いかえがある。さらに、この順番をさかさまにして、「ネガティブなことを考えたから、ネガティブな出来事が発生する」とか、「ネガティブなことを考えたから、ネガティブな出来事が引き寄せられる」ということにしてしまうのである。もちろん、条件はないことになっている。条件の差がないことになっているので、条件については、語られることがないのである。条件が理由をうみだしている場合ですら、条件ではなくて、内面の問題にされてしまうのである。どうしてかというと、条件の差は、最初から無視されているので、ネガティブなことが起こったり、ポジティブなことが起こるなら、それは、条件の差ではなくて、その個人の「内面の差」だということになってしまうのである。支配者層と被・支配者層にわけると、支配者層は、被・支配者層の人に『条件の差』について考えてほしくないのである。なので、被・支配者層の間で、条件を無視した考え方がはやるようにしているのである。被・支配者層の人は、まるで、自分が考え出したことのように、「ネガティブなことを考えたから、ネガティブな出来事が発生する」とか、「ネガティブなことを考えたから、ネガティブな出来事が引き寄せられる」とかと考えてしまうのである。しかし、条件は無視されている。最初からないことになっているのだ。条件の差は、出来事の差とは関係がないということになっているのである。あくまでも、個人の「内面」が問題で、現実の出来事は、個人の内面が作り出しているということになってしまう。もちろん、これは、まちがいだ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。