2025年1月19日日曜日

きちがい兄貴やきちがい親父は、普通の人をだますつもりなんてないんだよ

 ほんとうに、ヘビメタ騒音でしょうじた不利な状態というものは、ほかの人には、絶対にわからないことなんだよなぁ。

経験がない人にはわからない。

不可避的に、猛烈に、不利な状態になるのに、不利な状態になるということを、普通の人が認めない。

そりゃ、十数年間も毎日やられたら、通勤できないからだになるでしょ。なって当然だ。けど、これも、ほかの人には、まったくわからないことだ。だから、彼らは必然的に、ぼくのことを、あまく見る。

十数年間どころか、七年間でも……六年と半年間でも……よく耐えたと思うよ。

この、六年と半年間で、ぼくは、通勤する能力をうしなった。普通の時間に起きて行動する能力をうしなった。これ、不可避だ。やられちゃったら不可避だ。みんな、あまく見ている。この状態をあまく見ている。

どれだけの症状が不可避的に生じるか、まったくわかってない。

けど、この世は、基本的につらい世の中なのである。だから、みんな、「つらさ」は経験している。けど、このつらさは経験してない。

つらさには、グレードがある。けど、「俺だってつらい」「私だってつらい」と言えば、グレードの部分<< 

グレードのちがいが、ふっとぶ。

おなじつらさということになってしまうのだ。

質のちがいはでかいのに、無視される。そのひとことで、おなじ分量のおなじつらさを経験したことになってしまう。

もちろん、これは、まちがいだ。きちがい兄貴……という特殊な条件。きちがいが鳴らす騒音という特殊な条件……。この条件がないなら、それはちがうことが発生したということだ。

そして、ちがうことは質のちがうつらさをもたらすのである。

当然、からだに与える影響だってちがう。

けど、ほかの人は、「自分だってつらいことがあった」という言葉で、きちがい家族による騒音から発生するつらさを、おなじつらさだと「仮定」してしまう。これは、仮定なんだけど、本人が仮定だと気がつかないレベルの無意識的な仮定だ。

本人のなかでは、仮定だと思われてないのである。真実だとか、事実だと思われているのである。

けど、その人たちは、きちがい家族と一緒に暮らしたことがない。きちがい家族がどういう、理屈で、どういう感覚で、どういう認識で、きちがい的な騒音をおしつけてくるか、まったく理解してない。

わかってない。

きちがい的な騒音というのは、よそのうちでは、絶対にありえないような騒音だ。よそのうちにも、家族がいる場合が多いけど、よそのうちの家族は、そんな音で鳴らさないのである。

普通の人は「そういう音で鳴らすと迷惑だ」ということがわかっているから、最初から、そういう音で鳴らさないのである。

これが、すっぽぬけているから、うちの兄貴は、きちがいなのである。

すっぽぬけているきちがいが鳴らす音が、どれだけ迷惑か、普通の人はわかってない。やられることがないからだ。そして、その鳴らす人が家族であるということがどれだけ影響を及ぼすか、普通の人は、まったくわかってない。その人たちの家族が、きちがい家族ではないからだ。

これ、盲点なんだよ。その騒音を鳴らす人間が家族の一員だということが、盲点になっている。

きちがい親父は親権者なんだけど、親権者の協力がないと、「うったえる」ということも事実上できない。子供だったからな。

俺が小学六年生のとき、きちがい親父に、法的に(兄貴を)うったえるということを言ったら、「そんなこと、できるわけないだろ」と言って、相手にしてくれなかった。じゃあ、親父が、兄貴に注意するかというと、そうではないんだよ。

当時、きちがい親父は、無意識的に、きちがい兄貴に文句を言えない状態になってたんだよな。これも、盲点なんだよな。

『そんなに、子どもを虐待していたような親なら、子どもに文句を言って当然だ。そんなのは、おかしい。嘘だ』と普通の人は考えてしまう。まあ、普通の人と言っても、俺が書いたことを読んで……親父が……兄貴と俺を虐待していたということを知っている人たちが、そのように考えてしまうということだけどな。

ようするに、「お父さんが、お兄さんに注意をしないのはおかしい。だから、エイリさんが言っていることは嘘だ」と考えてしまう。

こういうところにも、ズレがあるんだよな。

普通の人は、きちがい家族がどういうふうにくるっているのか、まったくわかってないのだ。

きちがい兄貴やきちがい親父は、普通の人をだますつもりなんてないんだよ。

けど、きちがい兄貴やきちがい親父が普通に、行動すると、普通の人がだまされてしまう。「そんなのはないから……ない」と考えてしまう。

あまりにも大きなズレがあるので他の人が、嘘だと思ってしまうのだ。

これが、どれだけ迷惑なことか、ほかの人は、まったくわかってない。

みんな、まるで、わかってないんだよな。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。