まあ、潜在意識のせいにすることがはやっているんだよね。ほんとうは、条件のせいである場合においても、潜在意識のせいにしてしまう。条件がちがうので、悪い条件が結果に影響をおよぼすということがある。ところが、条件だけは認めることができないので、あるいは、条件の格差だけは認めることができないので、条件がちがうからそうなったとは言わないようにしているわけ。そのかわりに出てくるのが「潜在意識」だ。すべて、潜在意識のせいにできる。「カネ持ちではないのは、カネ持ちはずるいと潜在意識で思っているせいだ」ということにしてしまう。けど、おぎゃーとうまれた時から、資産の格差はある。この生まれた時の資産格差というのが、潜在意識の結果かというと、結果ではないのである。条件を抜きにして現在の状態を考えた場合、当然、人によって、現在の状態にはちがいがある。そのちがいは、すべて、潜在意識がもたらしたものだと考えてしまうのである。あるいは、潜在意識のせいなんだということにしてしまう。潜在意識というのは、マジックワードなんだよ。条件という言葉を使わないようにしたときのマジックワードなんだよ。
潜在意識というのは、その人の潜在意識なのである。だから、けっきょく、悪い状態なら、悪い状態を潜在意識的にもとめている……その人が悪いということになる。悪い状態は、その人の潜在意識から発生するのだから、その人が悪いということになる。けっきょく、潜在意識という言葉を経由した、自己責任論だということになる。悪い状態をもたらすような、ネガティブな潜在意識をかえれば、それでいいという理論なのである。
けど、これは、おかしい。
悪い状態というのは、悪い条件がもたらす場合がある。そして、悪い状態というのは、悪い意図的な選択がもたらされる場合もある。悪い意図的な選択をするときにも、条件が成り立っいたので、どこまでがほんとうに悪い意図的な選択なのかは、ちょっとわからない。
ともかく、悪い状態のすべてが、潜在意識によってもたらされたということはない。おぎゃーーとうまれたときのこと考えてみればわかるだろ。遺伝子的な制限だって、別に、潜在意識がもたらしたものではない。
遺伝子的に決まってしまうことは、別に、その人の(悪い)潜在意識がもたらしたことではない。遺伝子も含めて、条件なんだよ。遺伝子のちがいは、条件のちがいなんだよ。
その人の潜在意識のせいにすることによって、その人のせいにできるのだ。なんでもかんでも、「ほんとうは、その人が潜在意識でのぞんだものだ」ということにしておけば、その人のせいにすることができる。もちろん、条件なんて、関係がないということになる。