たとえば、〇・〇〇一%の確率で一億円が当たる宝くじがあったとする。
Aさんが、「あたる」と思って宝くじを一枚買ったら、一億円が当たったとする。Aさんが「当たると思って買えば当たる」と自分の体験を……疑似的に法則化して、言ったとする。
その次の回で、全員が「あたる」と思って、その宝くじをひとりにつき一枚、買ったとする。
そうすると、当たると思って買ったのに、九九・九九九%の人ははずれるということになる。
Aさんは、「思いは現実化する」ということができる。「当たると思って買ったら当たった。これは事実だ」と言うことができる。
けど、それは、法則にはならないんだよ!!
法則性なんて、まったくないことなんだよ!!!
だから、本人は、法則性があることとして、法則性があるようなことを言うけど、それは、本人の、勘違いだ。法則性なんてない。だから、「疑似的に法則化して」と書いておいた。
これ、どうして、こういう、詐欺に引っかかってしまう人がいるのかと不思議に思う。
ひとりにつき一枚買うとするなら、〇・〇〇一%の確率で当たる人がいるということと、九九・九九九%の確率ではずれる人がいるということは決まっていることなんだよ。
ようするに、九九・九九九%の人は、「あたる」と思って買ったとしても、はずれることが最初から決まっている。
それを、Aさんが「当たると思って買えば、一〇〇%の確率で当たる」と誤解してしまうような言い方で言っただけだ。ようするに一〇〇%詐欺をしただけだ。
「当たると思えば当たる」ということに、なんの法則性も成り立っていない。
* * *
「根拠のない自信をもつこと」をすすめる人も、おなじやり方をしているだけだ。
そして、セミナー商法や情報詐欺商法で、かせげば、『法螺(ほら)』を実現化できる。
その人は、その方法を売ることで、おカネを儲けることができる。もし、その方法を書いた情報商材が売れたら、おカネがはいってくる。その方法を説明するセミナーに人が集まれば、カネがはいってくる。
「根拠のない自信をもって行動したら、おカネが入ってきた。カネが入ってきて、カネ持ちになったのだから、これは真実だ」と言うことができる。
けど、これも、条件によってある程度決まっていることだ。
この方法でカネを儲けることができるのは、そういうことをしてカネ儲けをすることに抵抗がない人だけだ。抵抗がある人は、カネ儲けができない。
ようするに、「これって詐欺じゃないか」と思った人は、カネ儲けができないのである。
書いてあることよりも、そいつがやっていることを、やらないとダメなんだよ。けど、すくなくても、詐欺行為や、詐欺行為に類似した行為はしたくないと思う人は、そのやり方ができない。だから、そのやり方では成功しない。
「根拠のない自信をもって行動したら、おカネが入ってきた。カネがはいってきて、カネ持ちになったのだから、これは真実だ」……ということにも、『一〇〇%詐欺』が成り立っている。
一〇〇%詐欺をしている人が、一〇〇%詐欺をしているということに気がついている場合は、むしろマレなので、気をつけたほうがいい。人の話を聞くときは、気をつけたほうがいいよ。
これ、善意で一〇〇%詐欺をするやつまでいる。自分がだまされているので、一〇〇%詐欺をしているということに、まったく気がつかない。そういうやつが、ごろごろいる。それがこの世の中だ。