きちがいヘビメタ騒音が鳴っている条件と、きちがいヘビメタ騒音が鳴ってない条件はちがうんだよ。
きちがいヘビメタ騒音が鳴ってない条件のやつが「できると言えばできる」「だいじょうぶだと言えばだいじょうぶだ」「眠れると言えば眠れる」と言う。実際、自分は、できると言ったらできた。だいじょうぶだと言ったらだいじょうぶだった。眠れると言ったら眠れた……。
きちがいヘビメタ騒音という条件がないやつが、そう、言う。
きちがい兄貴は、きちがいなんだよ。きちがい家族という条件がないやつが、「ヘビメタ騒音が鳴ってたって、宿題ぐらいできる」と言う。「ヘビメタ騒音が鳴っていたって、遅刻をしないで通うことはできる」と言う。「お兄さんにちゃんと言えば静かにしてくれる」と言う。「自分だって騒音ぐらいあった」と言う。
けど、こいつらには、きちがい家族による、きちがい的な騒音という条件が成り立ってない。これではまるで、落とし穴がない条件で、「落ちないと思って歩けば、落ちない」と言っているようなものじゃないか。条件がちがうんだよ。落とし穴がないから、落とし穴に落ちない条件で歩いた。だから、落とし穴に落ちなかった。それだけのことだ。どうして、落とし穴がある条件の人に、「落ちないと思って歩けば、落ちない」など言うのか。「自分は、落ちないと思って歩いたら、落ちなかった。だから、落ちないと思えば落ちない」……。前半の……自分は、落ちないと思って歩いたら、落ちなかった……という部分は報告として正しい。うそを言ってないなら、事実なのだろう。けど、後半の……だから、落ちないと思えば落ちない……という部分はまちがっている。まちがった推論をしている。落ちないと思ったから落ちなかったのではなくて、最初から落とし穴がなかったから落ちなかっただけだ。ぜんぜん、ちがう。条件がちがえば、結果がちがうんだよ。