まあ、これは、たとえ話なんだけどさぁ……。たとえば、ポーカーの手札をとりかえることができる回数は……たいていの場合……一回だよね。
環境の差というのは、ポーカーの手札をとりかえることができる回数のようなものだ。
たとえば、レベルゼロの人は、手札をとりかえることができないとする。
ようするに、配られたらそれでおしまいで、とりかえることができない。ブタをくばられたら、ブタのままだ。ブタというのは、役がひとつもない状態のことだとする。
レベル一の人は、一回だけ、とりかえることができる。
だから、「ブタだけど、とりかえたら、ワンペアができた」という場合もある。レベル二の人は、二回とりかえることができる。だから、レベルゼロの人より成功しやすい。
レベル一〇の人は、一〇回とりかえることができる。まあ、たいていは、ツーペア以上の役ができるだろう。まあ、こんな感じで、トライ回数が多いほど、手札が有利になる。
こころのブロックをはずせば、いいことがあるというようなことを言う人は、環境の差というものを、最初から完全に無視している。
そして、「こころのブロックをはずせないから、不幸なのだ」ということを言う。あるいは、「こころのブロックがあるから、成功しないのだ」ということを言う。
けど、レベルゼロの人は、一回も、とりかえることができないのだ。それが、条件の差だ。
まあ、環境の差と言ってきたけど、条件の差が集まったものが環境の差だ。
たとえば、「ポジティブなことを考えて、やったら、実際にうまくいった」ということを言う人がいるだろ。「ネガティブな人はネガティブなことを考えているからダメなんだ」と言う人がいるだろ。「ネガティブなことを考えるから、ネガティブなことを引き寄せるのだ」と言う人がいるだろ。
この人にとっては、ネガティブな思いがネガティブな出来事を引き寄せたということになる。
『自分は、ポジティブなことを考えてトライしたので、うまくいった。ポジティブなことを考えてトライすると、ポジティブなことが起こる……これが正しい』と考えてしまう。
けど、レベルゼロの人は、手札をかえることができない。レベルゼロの人のなかにも、たまたま、最初に配られたカードのなかで、いい役ができる人もいる。けど、レベルゼロなら、最初に配られたカードでブタなら、ブタだ。
〇回しかかえられないという条件と、一回だけ変えられるという条件は、ちがう。だから、条件を無視して、「ネガティブな思いがネガティブな出来事を引き寄せた」「自分は、ポジティブなことを考えてトライしたので、うまくいった。ポジティブなことを考えてトライすると、ポジティブなことが起こる……これが正しい」という考え方は、まちがっていることになる。
それは、トライできるという条件が成り立っている世界の話だ。とらいできるという条件が成り立っている人に成り立つ話だ。ゼロ回しかトライできないという条件が成り立っている人には、そういうことが、言えない。
けど、最初から、条件のちがいをないものとして無視するので、あたかも、「ネガティブな思いがネガティブな出来事を引き寄せた」「ポジティブなことを考えてトライしたので、うまくいった。ポジティブなことを考えてトライすると、ポジティブなことが起こる」という考え方があたかも、正しいような印象をあたえることができる。
条件は、重要なんだよ。
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「ポジティブなことを考えてトライすると、ポジティブなことが起こる」ということにも、一〇〇%詐欺が成り立つ。自分で自分に一〇〇%詐欺をしている状態だ。
ちなみに、ポジティブな方向で、自分で自分に一〇〇%詐欺をすることは、いいことだ。別に否定しない。ぼくが言いたいのは、他人に言う場合なんだよ。相手には、相手が抱えている条件がいっぱいある。その相手が、かりに条件として言及しなかったとしても、相手には相手の条件がある。けど、言いきることで、他人の条件をすべて無視してしまうのである。言いきるというのは、ほんとうは、法則性がないのに法則性があると断言してしまうことだ。その命題は偽なのに、その命題が真であるようなことを言いきってしまうことだ。その命題が死んであるならいいけど、ただ単に、勘違いして、妄想世界で真だと思っているだけなのである。妄想世界で思っているだけなのに……相手の現実を無視してしまうことになるのである。これは、必然的だ。だって、命題が真でないのに、真であると思っているということだから、まちがいが必然的にひそんでいることになる。
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ポーカーの例では、相手は手持ちのカードをかえられないという状態なのに、手持ちのカードを「どんどんかえればいいのだ」というアドバイスをしているわけ。相手の状態をまったく見てないんだよね。相手には、ゼロ回しかかえられないという条件が成り立っている。自分には、一回だけかえられるという条件が成り立っている。条件がちがう。自分が、一回、かえてみたら、いい結果が出た。「トライすることは重要だ。ポジティブなことを考えてトライすれば、かならず、いいことが起こる」と思ってしまう。けど、それは、一回はトライできる状態だったから、トライできただけのことなのであ。一回もトライできない人に、トライすればいいっても、意味がない。あるいは、嫌味にしかならない。
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相手の条件を無視することは簡単なことなのである。だから、簡単に相手の条件を無視してしまう。相手の条件を簡単に無視できる人も、自分に成り立っている条件は無視できない。なので、ほんとうは、トライしたくてもトライできないことがあったりする。けど、それには目を向けないのだ。そして、たまたまうまくいくと、幼児的な万能感に支配され、「一〇〇%の確率でこうなる」ということを言う。けど、一〇〇%の確率でそうなるわけではないので、その文はまちがっている。命題としてあつかうなら、その命題は偽だ。
本人のなかで、言っていればいいことなんだよな。他人に言うべきじゃない。