2025年1月21日火曜日

条件は、重要なんだよ。

  まあ、これは、たとえ話なんだけどさぁ……。たとえば、ポーカーの手札をとりかえることができる回数は……たいていの場合……一回だよね。

環境の差というのは、ポーカーの手札をとりかえることができる回数のようなものだ。

たとえば、レベルゼロの人は、手札をとりかえることができないとする。


ようするに、配られたらそれでおしまいで、とりかえることができない。ブタをくばられたら、ブタのままだ。ブタというのは、役がひとつもない状態のことだとする。

レベル一の人は、一回だけ、とりかえることができる。

だから、「ブタだけど、とりかえたら、ワンペアができた」という場合もある。レベル二の人は、二回とりかえることができる。だから、レベルゼロの人より成功しやすい。

レベル一〇の人は、一〇回とりかえることができる。まあ、たいていは、ツーペア以上の役ができるだろう。まあ、こんな感じで、トライ回数が多いほど、手札が有利になる。

こころのブロックをはずせば、いいことがあるというようなことを言う人は、環境の差というものを、最初から完全に無視している。

そして、「こころのブロックをはずせないから、不幸なのだ」ということを言う。あるいは、「こころのブロックがあるから、成功しないのだ」ということを言う。

けど、レベルゼロの人は、一回も、とりかえることができないのだ。それが、条件の差だ。

まあ、環境の差と言ってきたけど、条件の差が集まったものが環境の差だ。

たとえば、「ポジティブなことを考えて、やったら、実際にうまくいった」ということを言う人がいるだろ。「ネガティブな人はネガティブなことを考えているからダメなんだ」と言う人がいるだろ。「ネガティブなことを考えるから、ネガティブなことを引き寄せるのだ」と言う人がいるだろ。

この人にとっては、ネガティブな思いがネガティブな出来事を引き寄せたということになる。

『自分は、ポジティブなことを考えてトライしたので、うまくいった。ポジティブなことを考えてトライすると、ポジティブなことが起こる……これが正しい』と考えてしまう。

けど、レベルゼロの人は、手札をかえることができない。レベルゼロの人のなかにも、たまたま、最初に配られたカードのなかで、いい役ができる人もいる。けど、レベルゼロなら、最初に配られたカードでブタなら、ブタだ。

〇回しかかえられないという条件と、一回だけ変えられるという条件は、ちがう。だから、条件を無視して、「ネガティブな思いがネガティブな出来事を引き寄せた」「自分は、ポジティブなことを考えてトライしたので、うまくいった。ポジティブなことを考えてトライすると、ポジティブなことが起こる……これが正しい」という考え方は、まちがっていることになる。

それは、トライできるという条件が成り立っている世界の話だ。とらいできるという条件が成り立っている人に成り立つ話だ。ゼロ回しかトライできないという条件が成り立っている人には、そういうことが、言えない。

けど、最初から、条件のちがいをないものとして無視するので、あたかも、「ネガティブな思いがネガティブな出来事を引き寄せた」「ポジティブなことを考えてトライしたので、うまくいった。ポジティブなことを考えてトライすると、ポジティブなことが起こる」という考え方があたかも、正しいような印象をあたえることができる。

条件は、重要なんだよ。

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「ポジティブなことを考えてトライすると、ポジティブなことが起こる」ということにも、一〇〇%詐欺が成り立つ。自分で自分に一〇〇%詐欺をしている状態だ。

ちなみに、ポジティブな方向で、自分で自分に一〇〇%詐欺をすることは、いいことだ。別に否定しない。ぼくが言いたいのは、他人に言う場合なんだよ。相手には、相手が抱えている条件がいっぱいある。その相手が、かりに条件として言及しなかったとしても、相手には相手の条件がある。けど、言いきることで、他人の条件をすべて無視してしまうのである。言いきるというのは、ほんとうは、法則性がないのに法則性があると断言してしまうことだ。その命題は偽なのに、その命題が真であるようなことを言いきってしまうことだ。その命題が死んであるならいいけど、ただ単に、勘違いして、妄想世界で真だと思っているだけなのである。妄想世界で思っているだけなのに……相手の現実を無視してしまうことになるのである。これは、必然的だ。だって、命題が真でないのに、真であると思っているということだから、まちがいが必然的にひそんでいることになる。

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ポーカーの例では、相手は手持ちのカードをかえられないという状態なのに、手持ちのカードを「どんどんかえればいいのだ」というアドバイスをしているわけ。相手の状態をまったく見てないんだよね。相手には、ゼロ回しかかえられないという条件が成り立っている。自分には、一回だけかえられるという条件が成り立っている。条件がちがう。自分が、一回、かえてみたら、いい結果が出た。「トライすることは重要だ。ポジティブなことを考えてトライすれば、かならず、いいことが起こる」と思ってしまう。けど、それは、一回はトライできる状態だったから、トライできただけのことなのであ。一回もトライできない人に、トライすればいいっても、意味がない。あるいは、嫌味にしかならない。

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相手の条件を無視することは簡単なことなのである。だから、簡単に相手の条件を無視してしまう。相手の条件を簡単に無視できる人も、自分に成り立っている条件は無視できない。なので、ほんとうは、トライしたくてもトライできないことがあったりする。けど、それには目を向けないのだ。そして、たまたまうまくいくと、幼児的な万能感に支配され、「一〇〇%の確率でこうなる」ということを言う。けど、一〇〇%の確率でそうなるわけではないので、その文はまちがっている。命題としてあつかうなら、その命題は偽だ。

本人のなかで、言っていればいいことなんだよな。他人に言うべきじゃない。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。