もう、さんざん言ってきたので、簡単に説明するだけにする。問題なのは、条件の無視だ。精神世界の人というのは、かくれている頂点以外は、みんな、お互いにお互いを洗脳しあっているような状態なのである。
だから、どんな人も、おなじようなことを言う。こころのブロックということについて書いたけど、生まれの条件、生まれの条件から派生する条件は、すべて、無視だ。
そして、「おカネが好きな人のことろには、おカネがよってくる」「おカネがたまらない人は、おカネをにくんでいる」「おカネがたまらない人は、おカネをきたないものだと思っている」というようなことを言う。
みんな……「その人が、どう思っているかということが、問題なのだ」というのだ。
これが……問題なのだ。
「おカネを、潜在意識で、きたないものだと思っているから、おカネがよってこない」と言う。これを正しいと思ってしまうセンスが問題だ。
そういう問題じゃないのである。
おカネをもっている人格者であるような親のもとに生まれた人と、おカネをもってないきちがい的な親のもとに生まれた人とでは、条件がちがうのである。収入、貯蓄という、もっとも、わかりやすいところだけではなくて、文化資産がちがう。
きちがい的な親は、きちがい的な理由で、毎回毎回、これでもかこれでもかと、たたりきるので、子供側の人間が、学校など、公的な場所で、ある意味「かくれ不適応」になってしまうのである。
根本的な部分に問題があるのだ。
きちがい的な親といっしょに暮らすということは、きちがい的な親との人間関係が、人間関係の「ひながた」になってしまう。そうなると、心的な問題が発生する。この心的な問題は、いろいろ人間関係に影響をおよぼす。
けど、普通の人たちは、きちがい的な親といっしょに暮らしたことがないので、「関係がない」と思うのだ。けど、実際には、関係がある。
しかも、これが、普通の人が、心理学を勉強してわかるような問題ではないのだ。普通の人が心理学を勉強して、「見える関係」ではなくてもっともっともっともっと、奥底の部分の見えないところに、関係が隠れているのだ。心理学を大学院で勉強した人ですら、あんまりわかってないようなところがある。
特に、認知療法はこういう部分を無視するので、わかってない人たちを量産するようになる。認知療法は、認知療法でプラスチックな解決方法を求めている。これは、プラグマティズムの影響だ。
まあ、ともかく、精神世界の人や普通の人は、「条件」を無視して考えることになれている。
条件を無視して、こころがけの問題にしてしまうのである。あるいは、潜在意識というわけのわからないことについて語りだし、「こころのバリアがあるから、おカネがよってこないのだ」ということにしてしまう。
いやー。おカネに関しては、生まれの条件が影響している。
恵まれている人にかぎって、生まれの条件を無視する傾向が強いと思う。これは、それこそ、調べてみる必要があるのではないか。まあ、これも、できたら研究しよう。
ともかく、条件を無視して、こころがけの問題にしてしまうと、こころがけをかえれば、おカネがはいってくるということを言うのである。ところが、現実生活においては、それこそ、生まれたときからつみかさなっている条件が、現実生活を規定する。その人ができきることを規定する。その人に対するまわりの人の態度を、あるていど規定してしまう。ところが、条件は無視するので、こころがけをかえたのに、状態がかわらないのはおかしいということになるのだ。それで、潜在意識というものを持ち出して、潜在意識で、おカネがきたないと思っているから、おカネがはいってこないということを、言い出す。そして、潜在意識を「うちやぶる」方法が、また、心理的な方法なのだ。あくまでも、外界の条件を認めずに、ただひたすら、内面の『こころの持ち方』だけを問題にする。けど、これ自体がまちがった態度なのだ。
だいたい、そんなことを言っている人間が、はじめてあった人のどこを見て、どういうふうに判断するかと言うことが問題だ。その人の見なりや、社会的な地位を見て、自分の態度を決めるのだ。あるいは、その人の学歴や職歴を見て、その人に対する態度を決める。
そして、実際に、たとえば、自分がどの程度カネをもっているかというのは、学歴や職歴や遺産で、決まってしまう。もちろん、生活スタイルもある。けど、生活スタイルだって、様々な条件が成り立っているから、そういう生活スタイルになるのだ。ともかく、生まれてきてからの条件を無視してしまうということはできない。ところが、生まれてきてからの現実的な条件を無視してしまう。だから、こころがけの問題になるのだけど、実際の生活というのは、現実的な条件によって、あるていど、決まってしまう。
セミナー講師ではなくても、現実の条件を無視して、こころがけの問題にしてしまう人は、実際に、恵まれた生活をしている場合がほとんどだ。生まれたときに、わりと恵まれた状態で生まれてきた人がほとんどだ。そういう人に洗脳されて、言ってみれば、恵まれていない人が「こころがけの問題なんだ」と思うわけなんだけど、それには、無理がある。実際に、恵まれてないからだ。条件がちがうのである。
基本的に、恵まれた人にとっては、自分の恵まれた条件というのは、空気のようなものだ。そして、他人の恵まれてない条件……悪条件に関しては、基本的に、無視しがちなのである。効力がある条件も、効力がない条件に見えてしまうのである。どうしてかというと、他人事だし、自分が人生のなかで、その悪条件を経験したことがないので、いまいちわからないというか、自分のこととしては、ぜんぜんわからない状態でくらしているからだ。他人の抱える悪条件に対する無関心さというのが、そもそも、生物的に内在しているのである。