あーー。ヘビメタ騒音が鳴っている感じがする。この時間、つねに鳴っていた。猛烈にくるしかった。あんな嫌な音が、あんなにでかい音で鳴っている。しかも、鳴らしているやつは、きちがいだから、普通の音で鳴らしていると思っている。「しずかにしろ」と言いに行くと、きちがい的な反応をする。絶対にやめない。きちがいが、注意されておこる。きちがいが……。こんな、無法地帯……ない。普通のうちなら、あのでかさで鳴らしているなら、絶対に、鳴らしているやつが、注意されて、鳴らせなくなるのだ。それが普通のうちのありかただ。絶対に、普通の親だったら、あんな音で鳴らしているのをほっておくということは、ない。だから、おかあさんも含めて、普通じゃないのである。おかあさんは、きちがい親父とは全く違う方向で、普通じゃないのである。だから、親は、注意しないわけだけど……。まあ、おかあさんが注意したときはあるけど、きちがいが、おかあさんの言うことを聞くわけがないだろ。うちには、きちがいがふたりいて、ふたりとも、おかあさんの言うことは、絶対に聞かないのである。でっ、聞かなかった……というつもりも、まったく生じないのである。これは、気にしてないという意味ではなくて、ほんとうに、認識として成り立ってないのである。だから、どれだけ、注意されても、おなじことが繰り返されてしまうのである。
常識的なうちで育った常識的な人が、「そんな音で鳴っているのに、親が注意しないのはおかしい」「そんな音で鳴っていたら、絶対にやめさせようとする」と言って、俺の言うことを、うそだと思うのである。こういう構造がいろいろなところに成り立っている。きちがい兄貴のきちがい感覚なんて、そんなの、普通の人が理解できるレベルのものではないのだ。きちがい親父のきちがい感覚なんて、 そんなの、普通の人が理解できるレベルのものではないのだ。