だれにだって、幼児的万能感はある。
「言ったことが、現実化する」と言いたくなる気持ちは、わかる。
けど、それと、「言ったことが、現実化する」ということが、一人歩きすることは、別だ。
「言ったことが、現実化する」なら、いい。
けど、言ったって、言ったことが、言霊の力によって、現実化するわけではない。
言霊主義者だって、現実的な方法で生きているのである。ご飯を食べたいと思ったら、普通に、ご飯を炊く。コーヒーを飲みたいと思ったら、普通にコーヒーを作るか、あるいは、コンビニにコーヒーを買いに行く。あるいは、喫茶店に行ったり、自動販売機があるところまで行って缶コーヒーをゲットして、コーヒーを飲もうとする。
別に、言ったことが現実化するからといって、「コーヒーよ、いでよ」と言って、コーヒーをゲットしようとするわけではない。
何度も言うけど、本当は、言霊主義者だってできないことなのに、なぜか、できるということになっている。
なぜか、「言ったことが、現実化する」という文が正しいこととして流通してしまっている。
ぼくが、ここに書いてきたことだって、いったいどれだけの人が納得するかわからない。
自分が現実世界で、現実的な解決方法を採用してたとしても、こまっている人間には「言えば、言ったことが現実化するから、言えばいい」と助言するのだ。
この助言が、どれだけ役に立たないものか知っているはずなのに、意味がない助言を、さも、意味がありそうに言う。
正しくないものが、正しいものとして流通しているので、被害がひろがる。
しかも、「言霊理論はおかしい」と言うと、いろいろな人から、反感を買うのだ。
立場が上である人間が、「できると言えばできる」と言った場合、立場が下である人間は、なかなか、反論ができない状態が成り立っている。
まちがいを主張する者が、正しいことを主張している者のようにふるまう。
やられている人間は、なかなかはねかえせない。やられてしまう。
「できると言えばできる」と言って、無理な労働をおしつけているめちゃくちゃな人が、正しいことをしているわけがないだろ。
ようするに、言霊という考え方が、悪事に使われているのである。
それなのに、それなのに……。みんな、みんな……。「言霊(理論)は、正しい」と言う。「言霊は絶対だ」などと言う。「言ったことが、現実化する。これが正しい」と言う。
「言霊(理論)は、正しい」と書いた。言霊主義者が実際に言う言葉は「言霊は正しい」だ。まあ、これは「言霊理論は正しい」ということになるのだろうなと思って括弧をつけて、理論という言葉をつけたしておいた。
「言霊は絶対だ」というのは、言霊理論は絶対的に正しいとか、言霊の法則は絶対的に成り立っているということなのだろう。
それなら、どうやって、ご飯を食べているのだよ?