さらっと、ふれておいたけど、「思霊」という言葉は、「言霊」という言葉のように、いきわたっていないので、それなりに問題がしょうじる「余地」が大きくなる。
「思いは現実化する」と言う場合、「思うだけで、現実化する」という意味で、「思いは現実化する」という言葉を発する人もいるし、「思えば、行動するので、思いが現実化する」という意味で「思いは現実化する」という言葉を発する人もいる。
「思えば、行動する」ということが、その人の頭のなかでは、成り立っている。
けど、思ったって、行動しない場合がある。思ったって、行動できない場合がある。そういうこについて、「思えば、行動する」と思っている人は、無視してしまうのである。そして、「思いは現実化する」と言う。
「思いは現実化する」と言う場合は、ほんとうは、思えば、思うことによって生じる思霊の力によって、思いの内容が現実化するという意味を持っている。
いままでの説明は、「思いは現実化する」ということについて、ふたり以上の人が、ちがう意味を込めて使う場合の説明だ。けど、ひとりの人のなかで、区別がついてない場合がある。
「努力をすれば成功する」という言葉とおなじように、その言葉を発する人が、そのときどきで、おなじ言葉に、ちがう意味を込めて使うということが発生する。
しかも、ちがう意味を込めているのに、本人は、無頓着なのである。
「思えば、行動するので、思ったことが現実化する」と決めつけているけど、思えば行動するかどうかはわからないし、行動すれば思ったことが現実化するかどうかは、わからない。わからないことなのだけど、勝手に決めつけている。
そして、一〇〇%詐欺をおこなう。
これ、本人はつもりがないかもしれないけど、詐欺的な発言。虚偽の発言。
思ったあと、行動しないと、現実化しないというのであれば、「行動すれば、現実化する」ということになるし、思ったあと、努力しないと現実化しないというのであれば「努力すれば、現実化する」ということになる。
思うということは、起点にすぎない。そして、行動するにしろ、努力するにしろ、自分のからだを動かすということになる。これは、現実的なことに関する現実的な対処だ。
一方、本物の「思いが現実化する」という話は、思うだけで、現実化するのである。「思い」には「思いのパワー」があり、その思いのパワーが、現実を動かすということになる。
「思い」だけで、現実が動くのである。
その人の内部環境で思っただけで、外部環境がかわるのだ。そういう神秘的なパワーが「思い」には宿っていると考えているのが、精神世界の人たちだ。
言霊主義者が、「言えば、現実化する」ということと「言ったあと努力をすれば現実化する」ということを、おなじ意味で、おなじ言葉で表現しているということと、おなじことが成立している。
思霊主義者も、言霊主義者も、精神世界の人たちなので、そういうところが、あいまいなのだ。あいまいだから、自分が意図せず、自分の発言にふたつの意味を持たせることができる。ふたつ以上の意味と言ってもいい。
ところが、自分では、それに気がつかないのである。
ようするに、言霊主義者は「言うこと」と「言って努力すること」を混同しているし、思霊主義者は「思うこと」と「思って努力すること」を混同している。
「どっちも、現実化するのだからいいじゃないか」と精神世界の人たちは言いそうだけど、どっちも現実化するとは限らない。
現実化するとは限らないので、「どっちの場合でも現実化するからいい」と考えるのは愚かなことなんだよ。
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わからないかもしれないから、ちょっと重複して書いておく。
「思う」ことと「思って行動すること」はちがうんだよ。ところが、精神世界の人のなかでは、おなじことだということになっている。「思うだけで、思いが現実化する」ということと「思っただけでは、思いが現実化しないので、行動することが必要だ」といこうとは、ちがうことだろ。
ところが、精神世界の人のなかでは、区別をつけずに、おなじことになっている。
だから、「思いは現実化する」という言葉に、「思うだけで、思いが現実化する」という意味と、「思っただけでは、思いが現実化しないので、行動することが必要だ」という意味の、ふたつの意味を持たせることができるんだよ。
けど、矛盾している。
けど、本人にとって、これがあいまいなことなんだよ。
「思うだけで、思いが現実化する」という意味で「思いは現実化する」と言ったあとに「思っただけでは、思いが現実化しないので、行動することが必要だ。けど、思えば、行動することになるから、行動によって思いが現実化することになる」という意味で「思いは現実化する」と言ってしまうことがある。
自分が矛盾したことを言ったつもりがないという状態ができあがる。
「思うだけで、思いが現実化する」ということと「思っただけでは、思いが現実化しない」ということは、ちがうことだろ。
けど、無意識的に使い分けて、本人は、まったく矛盾したことを言っているつもりがないのである。
だから、「思いは現実化する」と言ったあとに「強く思って努力すれば、思いは現実化する」などと言って、なんの疑問も感じない。
これ、ほんとうは、疑問を感じるべきところなんだよ。
最初の「思いは現実化する」ということの意味は、思っただけで、現実化するんだよ。思っただけで、思霊の力によって、思ったことが現実化するんだよ。だから、努力をする必要なんてないわけ。
思うだけで、いいわけ。
ところが、現実世界の現実的な問題に関しては、「思って」も「思った通りにならないこと」がある。それを知っているから「努力する必要」が出てくるわけ。「行動する必要」が出てくるわけ。
努力するということは、なんらかの行動をするということだ。何回も何回も、なんらかの行動をするということだ。
もう、この時点で、「思ったことが、思霊の力によって現実化する」という理論が、くずれているわけ。わかってくれたかな?
思えば、思っただけで「思いの力」によって、現実化するんだよ。思っただけで、思ったことが現実化するんだよ。努力なんて必要がないわけ。行動をする必要がないわけ。わかってくれたかな?
思えば、思っただけで「思いの力」によって、現実化する……という意味で、「思いは現実化する」と最初は言っているわけ。けど、途中から、「思えば行動するから、行動して思いを現実化することがたいせつだ」という意味で「思いは現実化する」と言い始めるわけ。矛盾している。なんで、矛盾に、気がつかないかな?
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言霊主義者にも言っておく。言えば、言ったことが、現実化するのだから、努力なんてしなくていいんだよ。言ったあと、努力が必要だと考えるなら、言霊の力を否定している。