一〇〇%成り立つことじゃないのに、あたかも、一〇〇%成り立つということを前提にして法則性があるようなことを言う。まさに、一〇〇%詐欺だ。
努力すれば、成功する……ときもある。努力すれば、成功する場合だってある……。これは、正しい。
しかし、「努力をすれば成功する」と断言するのは、まちがいなのである。
けど、あんまり、こういうことを言う人が多くない。
どうしてかと言うと、「みっともない」からだ。きれいごとのライフハックを批判するのは、みっともないことなのである。この、こういうことに、文句をつけるやつは、嫉妬しやすい失敗者だというレッテルをはられるのが、こわいのである。
あるいは、単に、不愉快なのである。
彼ら……きれいごとのライフハックをくちにする人たちは……洗脳されている。多くが洗脳されていて、少数が、洗脳するだけで、洗脳されていない。頂点・トップグループ以外は、みんな、だまされて、正しいと思い込んでいるだけなのだ。
この、正しいと思い込むということには、一〇〇%成り立つ……一〇〇%そうなるにちがいがないと思うことも、含まれている。
ともかく、多くの人は、「おかしい」と思っても、みっともないから、批判をしないのである。
「努力をすれば成功する場合もあるけど、失敗する場合もある」という文であれば、一〇〇%詐欺は成り立たない。
そして、実際に、そうなる。
ところが、きれいごとの構文を使うものは、失敗する場合がないということを言っているのだ。そして、それに気がついていない。
失敗する場合があるのであれば、「努力をすれば成功する」とは言えない。
「努力をすれば成功する場合もあるし、失敗する場合もある」としか言えない。
まあ、努力というのが、一意に決まる内容を指し示しているのではなともかく、ほんとうは、努力をしても、成功しないということが起こる場合がある。それなのに、最初にそれを無視しているのである。
けど、成功しない場合だってあるということを、無視しても、実際には、努力をしても成功しないということが発生する。
それに関する対処が、「努力のしかたがまちがっている」とか「努力がたりない」「努力したことにならない」ということを言うということになる。
これも、最初から決まっていることなんだよ。
さらに、相手が、一〇〇%詐欺に気がついて、食い下がってきた場合は、「言い訳をしている」「人のせいにしている」と言うことが決まっている。
最初から、これも決まっている。
だから、「おかしいなぁ」と思っても、みんな、黙っている。
そうなると、問題のあるライフハック理論が、あたかも、一〇〇%正しいことにのよう思われてしまうのだ。
狡猾な、悪魔の所業だ。
計画をたてた頂点・トップグループを抜かして、みんな、ばかしあっている。
特に、職業的にライフハックを説明する人間は、みんな、一〇〇%詐欺を行うことになっている。もちろん、詐欺だとは思ってない。思っていないのだけど、詐欺だ。
けど、「詐欺だ」とぼくが言ってしまうと、問題がしょうじるのである。
どうしてかというと、彼らは詐欺だと思ってないからだ。
本人が、だまされているので、トリックに関して無頓着なのである。詐欺的なポイントに本人が気つがついていないのである。だから、そのライフハックを真実だと思っている人が「詐欺だ」と言われると、おこるということになる。
そして、批判をしてきた人に「人のせいにしている」「言い訳をしている」と言う。いやー、そのライフハックを信じている本人が、人のせいにして、言い訳をしているとしか思えない。
これが、言い訳でなくてなんだ。
まあ、そのライフハックを感じつだと思っている本人が、気がつかない以上、自分が正しいと思っているわけだから、「詐欺的なことは言ってない」ということに(本人のなかでは)なっている。
けど、詐欺なんだよ。残念でしたーー。
まあ、ぼくは、うけが悪いことを知っている。わざわざ、多くの人を敵にまわす必要はない。けど、だれかが言っておかないこと、これは、やばいことだ。
* * *
「努力をすれば成功する場合もあるけど、失敗する場合もある」という意味で「努力をすれば成功する」と言う場合と、「努力をすれば一〇〇%成功する」という意味で「努力をすれば成功する」と言う場合がある。
一人の人のなかで、このふたつの意味が、共存しているのである。
けど、努力をすれば成功するという文は「努力をすれば一〇〇%成功する」という文の意味にしかならないのである。
ここら辺が、頭の中で、あいまいだから、詐欺的な行為が発生する。本人は、気がついていないけど、気分次第で、言っていることがちがうのである。
おなじ文にちがう意味を込めて、気分次第で、意味合いがちがうことを言っているのである。けど、それに、本人が、気がつかない。