5万円のパソコンを手に入れる話をした。「思う」と「思いの力」が発生して、「思いの力」によって、自動的にパソコンが手に入るわけではないということを言いたかった。「思えば、パソコンが手に入る」のではなくて、「おカネがあれば、パソコンが手に入る」とか「お金をかせげば、パソコンが手に入る」ということなのである。「思ったことが、思いの力によって現実化した」のではなくて、「思ったことが、おカネによって現実化した」のである。もし、金があれば、その金で買えばいいし、金がない場合は、お金をかせいで買えばいいということになる。そのほかにも、「パソコンをゆずってくれ」と人にたのむ場合だってあるかもしれない。この場合であっても、なんらかのアクションを必要とするのである。思うだけでは、手に入らないのである。「思えば、パソコンが手に入る」のではなくて「たのめば、パソコンが手に入ることもある」ということなのだ。おカネという条件や、ものをためる友人関係を無視して、ただ単に「思ったか思わなかったか」を問題にするのである。そして、思えば、手に入ると言うのである。まったくもって、詐欺的な説明だ。「思ったら、思ったあと、手に入った」ということはある。それは、「明日、雨がふると思ったら、思ったあと、雨がふった」という場合とおなじだ。ほんとうに「思いの力」が働いているわけではない。ほかの人の意思や制度が関係している場合だってある。「思いの力」とは関係なく、ほかの人があげようと思ってあげたのである。思えば、自然に手に入る……。ほんとうに、一〇〇%こうだったら、いい。思ったら、一〇〇%の確率で、思ったことが発生する……。ほんとうに、そうであるなら、いい。けど、実際はそうじゃない。実際はそうじゃないのに、あたかも、思ったら、思ったら、一〇〇%の確率で、思ったことが発生するということを言うのである。思いは現実化するのだから、思いは現実化しないことがないのである。これは、一〇〇%の確率で、思ったことが現実化するということを意味している。だから、まあ、こういうところでも、『一〇〇%詐欺』をしている。
思ったら、思いの力がしょうじて、思いの力が、思った内容を現実化してくるなら、いい。けど、実際には、思いの力によっては、一切合切のことが現実化しないのである。思ったあと、思ったことが、ほかの理由で現実化することはある。だから、「あと」と「から」の区別がつかない人は、実際に思ったから、現実化したと、事実を曲げて解釈してしまうのである。妄想的な理由を、自身のなかに作り上げて、その理由によって、現実化したと妄想的な解釈をしてしまうのである。
問題なのは、思っているのに、現実化しない場合だ。さらに問題なのは、思って、現実的なアクションを起こしたのに、現実化しない場合だ。条件によっては、アクションを起こしたけど、現実化しないという場合もある。それなのに、あたかも、思っただけで、思ったことが、一〇〇%の確率で現実化するようなことを言う。言いたくはないけど、詐欺的な説明だ。
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条件によっては、アクションを起こせない場合だってある。思っていても、アクションを起こせない場合、「思って待っているしかない」ということになる。しかも、思って待っていれば、思いは現実化するので、現実化するはずなのである。けど、現実化しなかったらどうなる? 現実化する前に死んでしまうではないか。現実化する前に死んでしまった場合、その人の思いは現実化しなかったということになる。思いが現実化しなかった。ちがうか?