きちがい兄貴の認識にずれがあるわけだけど、きちがい兄貴の認識にずれがあるということは、きちがい兄貴は、自分が気にせず、ものすごくでかい音で鳴らしたいと思っている限り、催眠術にかかったように、気がつかないのである。
いっぽう、無意識に問題がある家族と、いっしょに暮らしたことがない人は、ぼくの話を、信じないのである。無意識に問題がある家族といっしょに暮らしたことがない人にとっては、「そんなのは、言えばわかることなのだから、ちゃんと言えばいい」ということになってしまう。
ところが、きちがい兄貴にどれだけちゃんと言っても、ズレがあるので、認めないのである。まったくつたわらないのである。何万回言っても、つたわらないまま、問題となる行為をしてしまうのである。
そして、きちがい兄貴のほかに、きちがい親父がいるということが、どういう影響をあたえるか、きちがい家族といっしょに暮らしたことがない人は、これまた、わからない。
だから、ここでもまた、誤解がしょうじるのである。
けど、きちがい家族といっしょに暮らしたことがない人は、ここでも、自分のほうが誤解をしているとは、思わないのである。「そんなのはへんだから嘘だ」と思ってしまうのである。
「そんなにでかい音で鳴らしているのに、家族が、文句を言わないのはおかしい」と思ってしまうのである。
きちがい親父の構造は、きちがい兄貴の構造よりも、一般人にしてみれば「へんな構造」なので、きちがい兄貴の構造すら、理解できない人が、きちがい親父の構造を理解できるとは思えない。
「そんなのはへんだ」「そんなのはへんだから、エイリが嘘を言っている」と思っている人は、ぼくのことを誤解している。そして、「うち」のなかで、起こっていること全体について、誤解をしている。
「そんなにでかい音で鳴ってない」「エイリが嘘を言っているだけだ」と思う人は、ぼくが嘘を言う人間だと思っている。そして、もし、嘘でなく、ほんとうに、でかい音で鳴らしていると思っているのであれば、エイリは精神病だと思うのである。
どうしてかというと、エイリのお兄さんは、でかい音で鳴らしてないということが、事実だと思っているので、お兄さんがでかい音で鳴らしてないのに、エイリが「兄貴がでかい音で鳴らしてこまる」と言うのであれば、エイリのほうの現実認識がまちがっているということになってしまうのである。
もちろん、ぼくの現実認識はまちがっていない。
けど、「エイリが嘘をついている」と思っている人は、そういうふうに推測してしまう。兄貴の、「ズレ」が、ぼくのほうの「ズレ」だと(うたがっている人は)思うわけだ。
きちがい兄貴が、現実世界で、「ズレ」があることをしているのだけど、「そんなことはない」「えいりのお兄さんは、そんな音で鳴らしてない」と考えている人にとっては、ぼくが、ズレをもっているということになってしまう。そして、嘘つきか、精神病の人か、なんとか障害の人になってしまうのである。
そして、これがやっかいなことなのだけど、ヘビメタ騒音で、通勤通学ができなくなって、社会から取り残され、友だちとも疎遠になると、引きこもりと呼ばれる状態になる。
たとえば、ぼくが、引きこもりであると思っていて、なおかつ、引きこもりに悪いイメージをもっている人は、「エイリは、引きこもりだから、お兄さんがでかい音で鳴らしていたという嘘をついている」と考えてしまう。
あるいは、「引きこもりだから、なんらかの精神病を患っていて、それで、現実認識がおかしくなり、お兄さんが、ものすごくでかい音で鳴らしていると言っている」と考えてしまうのだ。
無職属性でもおなじことが起こる。きちがいヘビメタで、働けなくなったのに、無職だから、嘘を言っていると思われたり、無職だから、精神病を患っていて、お兄さんを悪く言っていると思われたりするのだ。
あとは、悪口を言っているということに関しても、ちょっと言っておく。この人たちの頭のなかでは、エイリのお兄さんはでかい音で鳴らしてないということになっている。
そうなると、でかい音で鳴らしてないお兄さんの悪口を、エイリが言っているということになってしまうのである。この人たちの頭のなかでは……。
きちがい兄貴が、無意識的なレベルで、まちがいをおかし、自分のやりたいことをやってしまうと、次々にこういうことが起こるのだ。
無意識的なレベルで音量の認知を書き換えないと鳴らすことがができないようなでかい音で鳴らしたいので、無意識的なレベルで音量の認知を書き換えて、でかい音で鳴らしてしまうのである。
その場合、そういうことをする家族というのは、他の人の家族のなかにはいないわけだから、俺が、いろいろと、うたがわれるのである。
「人の悪口を言うべきではない」とこういうふうに、俺のことを疑って、悪口を言ってる人たちが言っているのである。
兄貴が、実際に鳴らしてないのであれば、ぼくが、兄貴が非常識な音で騒音を鳴らしていると、兄貴の悪口を言っていることになる。
兄貴のヘビメタ騒音を経験したことがない人は、それがどれだけ強烈な影響をあたえるかわからないのである。
俺の精神にあたえる影響、俺のからだにあたえる影響、俺の勉強にあたえる影響がわかってない。
まとめて言うと、俺の日常生活にあたえる影響がわかってない。
「過去は関係がない」「影響はない」と軽く言う人たちとおなじで、兄貴が実際にはぼくが言うような音で騒音を鳴らしてないと考える人たちは、騒音の影響を無視してしまう。
ところが、この人たちはわかってないけど、騒音の影響がある。
どれだけ、無視して暮らそうとしても、ものすごい影響がある。
「過去は関係がない」「影響はない」と軽く言う人たちは、でかい音で鳴っているという事実を無視してないけど、でかい音で鳴らされると影響をうけるということを無視している。
そして、「そもそも、そんなにでかい音で鳴ってない」と考える人は、もちろん、鳴ってないのだから、騒音の影響なんて考えないのである。
そして、実際に、「過去は関係がない」「影響はない」と軽く言う人たちの家族も、「そもそも、そんなにでかい音で鳴ってない」と言う人たちの家族も、きちがい兄貴のような騒音を鳴らしていないのである。
だから、「過去は関係がない」「影響はない」と軽く言う人たち「そもそも、そんなにでかい音で鳴ってない」は、ぼくが、うちのなかで、経験した、きちがい兄貴による騒音と同程度の騒音を、経験してないのである。
毎日続くということが、どういう影響をあたえるか、まったくわかってないのである。
経験がないから、影響をうけてないだけなのに、「自分は影響をうけない」「自分は平気だ」「自分はだいじょうぶだ」「自分だったらお兄さんに注意して、やめさせることができる」と思っている人は、ぼくを、影響をうけるぼくを侮辱し、平気でないぼくを侮辱し、だいじょうぶはないぼくを侮辱し、注意してやめさせることができないぼくを、侮辱するのである。
* * *
たとえばの話だけど、影響を無視して、「過去は関係がない」「影響はない」と軽く言う人たちといっしょにいて、ぼくが楽しいと思うか? 「過去は関係がない」「影響はない」と言われて、ぼくが不愉快にならないと思うか?
たとえばの話だけど、『そんなのは、おかしい』『エイリのお兄さんはでかい音で鳴らしてない』『エイリが嘘を言っているか、精神病だ』と思っているやつと、いっしょにいておもしろいと思うか。
まあ、この手のタイプは、裏にまわって、徒党を組んで、おもしろおかしく不満を言いながら、俺のことを、ディスる。
悪口を言っているのは、こいつらなのに、俺が、兄貴や親父の悪口を言っているということになっている。
こいつらが、まちがった事実認識にもとづいて、俺の悪口を言っているのに、俺が兄貴や親父の悪口を言っていると思って、「人の悪口を言うのはよくない」と言うのだ。
いやーー。人の悪口を言っているのは、おまえらだろ。
* * *
「受け止め方をかえればいい」と思っていて、なおかつ「俺だって、騒音ぐらいあった」と思っているやつは、俺が「あなたが経験した騒音とは、質も量もちがうんだ」と言ったら、受け止め方をかえて、「そうなんだ」と思えばいいんだよ。
ところが、人に「受け止め方をかえればいい」と言っているやつは、自分の受け止め方をかえない。
「受け止め方をかえればいい」と思っていて、なおかつ「俺だって、苦労した。」と思っているやつは、俺が「あなたが経験した苦労とは、質も量もちがうんだ」と言ったら、受け止め方をかえて、「そうなんだ」と思えばいいんだよ。
ところが、人に「受け止め方をかえればいい」と言っているやつは、自分の受け止め方をかえない。
なんで、受け止め方をかえないんだ? どうして、腹をたてるんだ? どうしてむきになって、「俺だって、同等の苦労した」と言うんだ? 受け止め方をかえればいいのだから、かえればいいだろ。
* * *
俺がきちがい兄貴のヘビメタ騒音について説明しても、それを信じないやつというのは、誤解をして俺をひどい目にあわせている。裏で悪口を言って、盛り上がって、楽しんでいる。
そんなやつが、道徳をくちにする。
ほんとうにふざけたやつらだ。兄貴のような人間がいるということがわからないだけだろ。親父のような人間がいるということがわからないだけだろ。
自分が経験してないから、きちがい家族による騒音がどれほど、つらいかわかってないだけだろ。自分が経験してないから、きちがい家族による騒音がどれほど、人生に影響をあたえるか、わかってないだけだろ。