2024年12月9日月曜日

「ゴミ拾いをすると、運があがる」(1)

 「ゴミ拾いをすると、運があがる」と言っている人が、完全に無視していることがある。

それは、複数の悪い条件をかかえている人が、どういう気持で「ゴミ拾い」をしているかということだ。複数の悪い条件をかかえている人は、切羽詰まった気持ちで、ゴミ拾いをしている。

この、切羽詰まった気持ちがわかるか? 余裕がある人が、楽しんでゴミ拾いをしているのとはちがうのだ。

あるいは、ゴミ拾いをすることには意味があると思って、ゴミ拾いをしている人とはちがう。

ゴミ拾いをすることには意味があると思って、ゴミ拾いをしている人は、ゴミ拾いが目標。ゴミ拾いをすれば、目標を達成できる。「運をあげるために」ゴミ拾いをしている人は、ゴミ拾いが目標ではなくて、運をあげることが目標なのである。

これが、どれだけちがうことかわかってない。

ゴミ拾いをしても、運があがらなければ、目標を達成できないのである。行為と目標がずれているのである。これは、大きな影響をあたえる。心理的な影響はでかい。


「ゴミ拾いをすると、運があがる」と言っている人は、悪い条件をかかえていている人の条件を無視している。

つぎに「ゴミ拾いをすると、運があがる」と言っている人は、悪い条件をかかえている人が、ゴミ拾いをしているときの気持ちを無視している。

つぎに「ゴミ拾いをすると、運があがる」と言っている人は、行為と目標がずれていることがあたえる心理的な影響について無視している。

つぎに、「ゴミ拾いをすると、運があがる」と言っている人は、悪い条件をかかえている人の体力的なリソースや時間的なリソースを無視している。

悪い条件をかかえている人は、体力的なリソースがゼロ付近、時間的な余裕もゼロ付近で、暮らしているのである。

そりゃ、相対的に条件がいい人には、体力的なリソースも時間的なリソースもある。どうしてかというと、条件がいいからだ。

条件がいい人が「自分だって苦労した」と言うけど、その苦労は、条件が悪い人の苦労とは質もちがうし、量もちがうのである。

条件が悪い人は、もう、ボロボロになって余裕がない暮らしをしているのである。

ゴミ拾いをしはじめるときの状態が、条件のいい人と、条件が悪い人とでは、ぜんぜんちがうのである。

「ゴミ拾いをすると、運があがる」と言っている人は、条件を無視するので、そんなことは、一切合切、考えてないのである。


あるいは、一切合切、考えてないお気楽さがある。このお気楽さは、裏をかえせば、傲慢さだ。相手の条件を考えずに、でたらめなことを言う傲慢さがある。無慈悲で傲慢なのである。

抽象的な話に興味があって、「あがる(はずだ)」ということを言うけど、相手が、ほんとうはどんなことでこまっているのかいうことに関しては、まったく、無感覚だ。無感覚、無慈悲なのである。実際にやってみた相手の状態なんて、気にならないのだ。

だから、このお気楽さ、無感覚さ、無慈悲さは、容易に、「せめのことば」に結びつく。「そんなのは関係がない」「そんなのは影響がない」「そんなのは、やり方が悪いんだ」「こころをこめてやらないからダメなんだ」などなど。相手の現実的な条件を無視して、相手をせめまくる。

「ゴミ拾いをすると、運があがる」ということが、そういうことを言う人のなかでは、正しいことになっているので、「ダメだった」「効果がなかった」ということを言われると、相手が悪いのだということを言いだすのである。

ようするに、理論は正しいので、相手に落ち度があると考えるのだ。理論が悪いのではなく、相手が悪いと決めつけて、相手の責任を追及しはじめるのである。

そして、ダメだしをする。

けど、理論がそもそもまちがっているのである。

こんな、無慈悲な行為をしているのに、どこに「愛」があるんだ?

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。