2024年12月9日月曜日

「ゴミ拾いをするとしあわせになる」(5)

「ゴミ拾いをするとしあわせになる」ということに関する批判は、めちゃくちゃにうけが悪い。わるすぎる。そんなのは、わかっている。

けど、ぼくは言わなければならないのだ。これ、ほんとうは、問題があることなのに誰も言わない。そりゃ……。ゴミ拾いをしたいと思っているのだからゴミ拾いをしたっていいじゃないかという意見があると思う。

ぼくだって、別にゴミ拾いをするべきではないと言いたいわけじゃないのだ。

けど、お気楽ライフハックを人にすすめるような行為は、不幸な人をどん底に突き落とすような行為なのだ。みんな、それがわかってない。

そういう要素があるということが、まったくまったくわかってない。

どのみち、ある程度、めぐまれている人が書いたライフハックはまるで役に立たないのだ。役に立たないどころか、有害なのだ。有害さが、無視されている。この手のライフハックというのは、多くの不幸な人を自殺に追い込んできたと思う。

複数の「悪い」条件が成り立っている人がいるんだけど、その人が感じていることというのは、この手のライフハックでは解決しない。

そして、この手のライフハックがはやっているということ……正しいこととして流通しているということ自体が、複数の「悪い」条件をかかえている人を、くるしめるのだ。

特に「運」がどうのこうのという話は、よくない。

まったく、よくない。

これ、最後のひとおしになる。がけっぷちに立っている人を、突き落とす、最後のひとおしなのだ。ほとんどの人が、「運がよくなるのだから、いいことだろ」と思っていると思う。

ところが、これ自体が、くるしみの原因になってしまうのだ。努力論とおなじで、正しいこととして流通しているけど、不幸な人を、より不幸にするところがある。 最後のひとおしになる。

というか、最初から、これ、条件が悪いところでは、マイナスに働くことなのである。

何度も言うけど、条件は無視されているのである。これは、悪質だ。

個々人がかかえる条件を無視して、条件が悪い人を追い込む。「自己責任」「あまえだ」「いいわけだ」……これらのせめる言葉と組になって、運をあげる方法が語られるのだ。

これは、自転車の前輪と後輪だ。ライフハックとせめる言葉が組になっている。「ライフハック」は条件を無視しているし、「せめる言葉」も条件を無視している。条件をガン無視するという点では、両者はおなじだ。

*     *     *

その人が不幸なのは、ゴミ拾いをしてこなかったからじゃないぞ。

悪い条件が成り立っていたから不幸なのだ。ゴミ拾いをすると運がよくなる……。だったら、運がいい人は、みんな、ゴミ拾いをしてたのか?

ちがうだろ。

こんなの、論点そらし。

別に、ゴミ拾いをしてもいい。ゴミ拾いをすることで、本人が気持ちよくなれるなら、それでいい。けど、実際はちがう。どうしてかというと、運をあげようとしてゴミ拾いをする人は、すでに不幸だからだ。

運がない思い……をさんざんしてきたからだ。

こまっているからだ。

条件が悪いうちに生まれたということ自体が、運がないことだ。運というなら、そういこうとになる。

運というのは、じつは、現実を言い換えたものだ。

たとえば、悪い親のもとにうまれてきた人は「運が悪い」のである。悪い親のもとにうまれてきたという事実を「運」という言葉で、言い換えているにすぎない。

 現実の写し絵なのでおなじものをみて、ふたつのことを言っているだけだ。そして、ふたつのあいだに関係があるというようなことを言うのである。

けど、おなじことを言っているのである。現実世界で、現実的にダメな状態で生活している人は、運がないのである。けど、運がない人は、現実世界で、現実的にダメな状態で生活している人なのである。

「運」というのが、現実の写し絵なのだから、こんな意味のない言葉の繰り返しになっても、しかたがない。

運の悪い人が運をよくする……ための方法……。けど、運が悪いとみなされる状態は、じつは条件によってつくりだされたのである。

だから、条件がかわらないとだめなのである。条件がかわらないと運が悪い状態が改善されないのである。

けど、条件を無視して、妄想的なことを言う。条件を無視している。

これは、原因を無視しているということとおなじだ。現実を繰り出している条件についてはまったくふれずに、別の原因を考え出し、それをしないからダメなのだとダメ出しをするのだ。

たとえば、運をあげる方法をやってみたけど、ダメだった人がいたとする。この人に言われる言葉は「続ければいい」という無慈悲な言葉だ。だいたい、条件を無視している時点で、無慈悲なのだ。こんなに思いやりがない行為はない。

相手の条件を無視するということは、すでに、相手に対する侮辱なのである。どうしてかというと、相手の状態がわるくなったほんとうの原因を無視することになるからだ。

そして、「いいわけだ」「あまえだ」「続ければいい」と言う。こんなことをして、いいことをしたつもりでいるというのがおかしい。

いいことをしたつもりになっているのは、自分が提示した方法が、ほんとうに相手の運をあげると思っているからなのである。

ところが、相手をよりくるしめる方法なのだ。

条件が悪い人が「運をあげる方法」をこころみたとしても、いいことなんてない。どうしてかというと、実際には、条件のわるさがわからないからだ。

*     *     *

はっきり言ってしまうけど、社会改革のほうがいい。社会がかわれば、だいぶ、条件がかわる。条件がかわれば、実質的に運がよくなった?状態になる。



毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。