「ほかの人のことを思って、こういうことをやっている」と言う人ばかりだ。もちろん、慈善事業ではなくて、ビジネスだ。
ビジネスなのに、「ほかの人のことを思って、自分はこういうことをしている」と言う人たちが多い。
「みんなが得をするように、シェアしてください」と言う人たちもいる。この人たちも、ビジネスをやっている。ほんとうに得をするのはだれか?
みんながシェアをすると、その人が得をするようにできている。みんなが得をするわけではない。みんなから、その人にお金が流れるわけで、みんなのほうは、別に得をしない。「お得な気分」を買っただけだ。「どうにかなるような気分」を買っただけだ。その人の「カモ」になっただけだ。
ほかの人のことを思っている人たちばかりなのに、これだけ生きにくいのはなぜかということだ。
実際には、「ほかの人のことを思っている」という人は、自分のことだけを思っていて、ほかの人をカモだと考えているので、ほかの人たちは損をするようになっている。
あるいは、ほかの人のことを思ってやっていることが、ほかの人にとって有害なものになっている。
このどちらかが成り立っているか、あるいは、両方とも成り立っている場合は、「ほかの人のことを思っている」人が、どれだけ増えても、社会はよくならないのである。社会のなかに住んでいる人は、生きがたさを感じ続けるだろう。ほかの人にとって、生きやすい社会にはならないのである。ほかの人の状態が、ぜんぜんよくならないのである。
まあ、有害ではないけど、有益ではないということも考えられる。ほかの人のことを思ってやっていることが、ほかの人にとって無害ではあるけど、有益ではない場合は、ほかの人は、よりよい状態にはならない。つまり、人々……ほかの人たちの悪い条件にまったくなにも影響をあたえない。
現実社会のことを考えれば、こんなにほかの人のことを思っている人たちばかりなのに、一向に生きがたさが改善されないのはおかしいということになる。どれだけ、きれいごとを言う人たちが増えても、まったく、社会がよくならない。
ほかの人のことを思っている人たちばかりだとする。そのような社会は、住みやすいはずだ。ところが、実際の社会は、住みにくいのだ。実際の社会は、つらいことばかりなのだ。これは、おかしい。