きちがい家族の騒音がどれだけこたえるか、みんな、わかってない。きちがい家族の騒音が、どれだけ、人生を台なしにする、みんな、わかってない。
「俺だって苦労した」と言えば、同質・同量の騒音をあびたような感じになるのだけど、ちがう。ぜんぜんわかってない。
わかってないから「関係、ない」「影響、ない」と言える。
わかってないから、言っているだけだ。
これ、ほんとうに、すべてのことに、影響をあたえるのである。
でっ、一回だけ、ひとつのことに影響をあたえたから、それでおしまいというわけではなくて、何回も、多数のことに影響をあたえる。
過去は、関係があるのである。
「過去は影響をあたえる」とひとこと言っただけでは、到底、言い切れない影響をあたえている。
ところが、クソ凡人から出てくる言葉は「そんなの、関係、ない」だ。
「そんなのは、関係がない」と言うやつは、みんな、ヘビメタ騒音生活がどういう生活なのか、まったくわかってない。
どれだけ、がんばっても、全部がマイナスになる生活だ。言いようがない。ほんとうに、影響が限定的だと思っているやつは、まったくわかってないからな。
どれだけ、ひろい範囲に影響がおよぶかぜんぜんわかってない。
しかも、時系列的に増えてしまうのである。「影響」が、「影響の影響」をうみ、「影響の影響」が、「影響の影響の影響」をうむというようなことが発生する。
そして、みんなが理解できな感覚で、きちがい兄貴がきちがいヘビメタを鳴らしている。
みんな、ほんとうに、理解できない。
「関係がない」と言わなかった人だって、わかっているわけじゃない。きちがい兄貴のきちがい感覚なんて、わかるはずがない。
けど、きちがい感覚で鳴らしてしまうので問題がしょうじる。
よそのうちでは絶対に鳴らさないような音で鳴らし続けてしまうから、問題がしょうじる。
よその人は、きちがい家族が、きちがい的な意地で鳴らした「騒音」というもの、まったく経験してない。きちがい家族が、きちがい的な意地で鳴らした「騒音」を経験した人が、俺に対して、みんなが言うようなことを、言うわけがないのだ。
みんな、よその人は、誤解をしているんだよな。
特に、「本当は、そんな音で鳴ってなかったんじゃないか」と思うやつは、ひどい。
こいつらは、どんだけ、俺をおとしめれば、気がすむんだ。
俺は、きちがい家族のきちがい騒音のなかで、がんばってがんばってやってきた人間なんたぞ。
ほんとうに、頭にくる。